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武将辞典【晋】
真・三國無双6攻略 武将辞典【晋】を掲載しています。王観(オウカン) |
??? 字は偉台。 魏の臣。曹操から五代にわたって魏に仕える。何事にも公平を好み、法を厳守して職務にあたった。 その分、特権を利用する曹爽やその側近と対立し、曹爽らから疎まれる。正史の変では司馬懿の命で、曹爽の弟・曹義の陣を占拠した。 |
王基(オウキ) |
190?261 字は伯輿。 魏の将。優れた軍略家であり、司馬師や司馬昭の厚い信任を受ける。 毋丘倹・文欽の反乱の際は、毋丘倹の先手を取って南頓の地を奪い、項城に立て籠もった毋丘倹を破った。 諸葛誕が乱を起こすと、 呉も諸葛誕を援護しようと動くが、呉軍の先鋒・朱異を下し、一気に寿春に攻め入った。 |
王頎(オウキ) |
??? 字は孔碩。 魏の将。天水太守。鄧艾の配下として蜀攻略に活躍する。別働隊となり、沓中を守る姜維を攻撃するも、一騎討ちの末に敗れ撤退。 再び鄧艾らと合流すると綿竹に籠もる蜀軍を攻めた。 苦戦したが、鄧艾の指示で牽弘とともに伏兵となり、 諸葛瞻を撃破。綿竹を包囲した。 |
王業(オウギョウ) |
??? 魏の臣。 王経、王沈とともに、曹髦から司馬昭誅殺の命を受ける。 司馬昭を恐れ、王沈と二人で保身ために密告を行い、曹髦と王経を死に追いやった。 正史によると、のち晋に仕えて中護軍に任ぜられたという。 |
王元姫(オウゲンキ) |
217?268 王粛の娘。司馬昭に嫁ぎ、後に晋の初代皇帝となる司馬炎を始め、多くの子をもうける。 正史においては、幼い頃から品行方正で、学問にも優れていたという。 司馬昭の妻となっても、つましく暮らし、鍾会の反乱を予見するなど、その明晰さで夫を助けた。 |
王沈(オウシン) |
??? 字は処道。 魏の臣。王業、王経とともに曹髦に呼び出され、司馬昭誅殺の密勅を受ける。 暗殺が無謀であることを悟り、司馬昭に報告すベきと王経に説いたが断られ、王業とともに司馬昭を訪れ、告発する。 正史によると、不忠だと批判されたが罪は問われず、司馬炎の代まで仕えたという。 |
王韜(オウトウ) |
??? 魏の臣。司馬昭の主簿。司馬昭は北伐を行う蜀軍を迎え撃ったが、姜維の計略にかかって大敗し、退路を断たれ鉄籠山に龍もる。 鉄籠山には水源が一つしかなかったため、魏軍は深刻な水不足に陥った。 その際、故事になぞらえ、祈りを捧げるよう進言した。司馬昭が天に祈ると、水が湧いて溢れ出たという。 |
郭淮(カクワイ) |
??253 字は伯済。 魏の行軍司馬。曹真や司馬懿の指揮のもと ![]() 東奔西走し、局地的な勝利はあったものの、完全勝利は一度もなかった。 のち蜀軍との戦いで姜維の矢を眉間に受け、絶命する。正史では病死で、大将軍を追贈された。 |
夏侯覇(カコウハ) |
??262 字は仲権。 魏、のち蜀に仕えた将。夏侯淵の長男。司馬懿の推挙により、弟ともども対蜀戦に従軍する。 司馬懿が魏の大権を握ると、身の危険を感じて蜀に降った。 その後、姜維とともに北伐に赴くが司馬望の待ち伏せに遭い、矢玉を受けて戦死する。 |
賈充(カジュウ) |
217?282 字は公閭。 魏の臣。賈逵の子。司馬師・司馬昭らの側近として仕え、毋丘倹・文欽の乱や、諸葛誕の反乱などを鎮圧する功績があった。 その後も蜀への侵攻に参謀として加わり、呉征伐には消極的だったが結果的には成功する。 晋王朝の成立に貢献した第一人者と言われる。 |
何楨(カテイ) |
??? 字は元幹。 魏の臣。文官でありながら、異民族を抑える幽州の刺史に任命された。諸菖誕の乱を始め、多くの戦いに参加したとされる。 晋の時代、匈奴の劉猛が反乱を起こした際は、幾度となく劉猛の軍を打ち破り、ついには劉猛配下の李恪を離反させ、劉猛を殺害させた。 |
丘本(キュウホン) |
??? 魏の臣。鄧艾の下、監軍として蜀攻略に付き従う。綿竹で奮闘する蜀の将・諸葛瞻を屈服させるため、書状で誘い出そうと提案した。 書状に激怒した諸葛瞻が城から打って出ると、鄧艾は正面から迎え撃とうとしたが、「奇襲しなければ勝てない」と諌め、魏軍の勝利に貢献した。 |
牽弘(ケンコウ) |
??271 魏の将。朧西太守。鄧艾から蜀攻略に向かう一軍を任され、姜維の守る沓中を西から攻める。 同じく東から故めた王頎が姜維に敗れたため、代わって姜維を迎撃したが、侮られ、相手にされなかった。 鄧艾が綿竹を攻めた際は、王頎とともに伏兵となり、蜀の将・諸葛瞻の軍を敗走させた。 |
高柔(コウジュウ) |
174?263 字は文恵。 魏の将。袁紹の甥である高幹と同じ一族。正始の変で、司馬懿とともに軍を動かし、曹爽の陣を押さえる活躍をした。 正史によると、元は袁紹の配下。袁紹の死後、高幹は曹操に反逆したが、同調はせず曹操に降った。 以降功を重ね、 太尉の位に上りつめたという。 |
胡奮(コフン) |
??282 字は玄威。 魏の将。胡遵の次男。反乱した諸葛誕が追い詰められて城から打って出たところを討ち取る。 のちに北方では匈奴の王・劉猛の反乱鎮圧に活躍し、南方では杜預に従って呉征伐に赴くなど数々の戦いに参加した。 明朗闊達で、戦を好んだという。 |
胡烈(コレツ) |
??270 字は玄武。 魏の将。胡遵の三男。諸菖誕の乱の鎮圧に参加し、呉の援軍の第二陣を破る。のちに鍾会に従って蜀の攻略に成功した。 降伏した姜維と手を組んで鍾会が魏に反旗を翻すと、捕虜となるが元部下の丘建を通じて子の胡淵と連絡を取る。 胡淵らの働きで反乱は早期に鎮圧された。 |
司馬懿(シバイ) |
179?251 字は仲達。 魏の臣。曹操に才能を見出され重用される。蜀との戦いでは、諸葛亮の挑発に乗らず、守勢に徹して勝利を収めた。 冷静さと的確な判断能力をもつ天才軍師にして、晋王朝の土台を築いた策謀家。 |
司馬炎(シバエン) |
236?290 字は安世。 司馬昭の長男。母は王元姫。蜀攻略に成功した司馬昭から後継に指名される。 側近・賈充らの補佐を受けて魏帝・曹奐に禅譲を迫り、晋を建国、初代皇帝となった。 やがて呉の攻略に成功し、およそ百年ぶりに天下統一を果たす。 |
司馬馗(シバキ) |
??? 字は季達。 魏の臣。司馬懿の弟。八人兄弟の四男で「司馬八達」の一人。豫州の魯国の相を務め、侯に封じられた。 晋の時代には、孫の司馬越が活躍し、八王の乱に勝利する。 しかし、相次ぐ同族争いは一族の弱体化を招き、晋滅亡の一因になったといわれる。 |
司馬師(シバシ) |
208?255 字は子元。 魏の臣。司馬懿の長男。諸葛亮との戦いなどで活躍。のち父とともに政敵の曹爽を討ち、魏の実権を握った。 父の死後、曹芳を廃したため、毋丘倹・文欽らの反乱を招く。文欽の奇襲に苦戦したが、自ら鎮圧。 司馬一族の権勢を保ったまま、後事を弟の司馬昭に託した。 |
司馬恂(シバジュン) |
??? 字は顕達。 魏の臣。司馬懿の弟。八人兄弟の五男。兄弟揃って聡明で共通の字から「司馬八達」と称された。 司馬懿らとともに魏に仕え鴻臚丞の位を得た。子・司馬遂は北中郎将・冠軍将軍などを歴任し、晋が成立すると済南王に封じられた。 |
司馬昭(シバショウ) |
211?265 字は子上。 魏の臣。司馬懿の次男。兄である司馬師とともに権勢を振るった。 兄の死後は大将軍の位を継ぎ、全権を掌握する。蜀を平定したのち、晋王となった。 |
司馬進(シバシン) |
??? 字は恵達。 魏の将。司馬懿の弟。八人兄弟の六男で「司馬八達」の一人。兄弟とともに魏に仕え、中郎の位まで上った。 子・司馬遜も魏の参鎮東軍事になり、司馬炎が晋を建国すると、譙王に封じられた。 |
司馬通(シバトウ) |
??? 字は雅達。 魏の臣。司馬懿の弟。八人兄弟の七男。「司馬八達」と称され兄弟揃って優秀だった。 魏に仕えて司隷従事を務め、侯に封じられた。子・司馬陵は北海王に封じられて北方に赴き、のちに任城王となるなど、地方で活躍した。 |
司馬敏(シバビン) |
??? 字は幼達。 魏の臣。司馬懿の弟。八人兄弟の八男。七人の兄がおり、上から、司馬朗・懿・孚・馗・恂・進・通・敏。 字に共通で「達」とつき、兄弟揃って優秀だったため「司馬八達」と呼ばれた。子がなく、司馬進の孫・司馬彪が後を継いだ。 |
司馬孚(シバフ) |
180?272 字は叔達。 魏の臣。司馬懿の弟。八人兄弟で「司馬八達」の一人。曹操に仕え、魏の忠臣として働く。 魏帝・曹芳を蔑ろにする曹爽を誅するため、正始の変で司馬懿に協力。 司馬師とともに洛陽の宮城を制圧し、曹爽の動きを封じて降伏に追い込んだ。 |
司馬朗(シバボウ) |
205?271 字は子初。 魏の将。司馬昭の族兄。姜維の北伐を迎え撃つが敗退。鄧艾の援軍を得て落城は免れた。 のち姜維の陣の弱点を見抜いて逆に鄧艾を救出するなど善戦する。姜維に戦術では勝てぬと諦め、蜀の宦官・黄皓を買収。 劉禅に撤退命令を出させた。その後も姜維との戦いで活躍し、司馬炎から司徒に任ぜられる。 |
州泰(シュウタイ) |
??261 魏の将。司馬懿に見出され、抜擢される。王基・鄧艾・石苞らとともに魏の前線を支え、特に呉征伐に活躍した。 諸葛誕の乱においては鍾会の策に従い、牛馬や兵糧などの物資をわざと奪わせるといった戦法で敵軍を誘い出し、呉の将・朱異の軍勢を大いに打ち破った。 |
荀愷(ジュンガイ) |
??? 魏の将。荀彧の曾孫にあたり、母は司馬懿の娘。鍾会配下の一兵卒として蜀攻略に参加する。 南鄭関で鍾会が蜀の将・盧遜に襲われて窮地に陥ると、盧遜を討ち取って鍾会を救い、その場で護軍の位を授けられた。 また漢城を攻め、蒋斌を降伏に追い込む活躍を見せる。 |
苟勗(ジュンキョク) |
??289 字は公曾。 魏の臣。荀攸・荀彧は遠縁の同族。 同僚の賈充が司馬昭に姜維の暗殺を進言すると、「蜀は、劉禅・黄皓のせいで乱れており大軍で攻めれば勝利は容易い」と具申し、採用される。 さらに蜀攻略の人事を問われ、鄧艾・鍾会を大将に推挙した。 |
鍾会(ショウカイ) |
225?264 字は士季。 幼少の頃より非凡な才を見せ、司馬昭に重用される。 鄧艾とともに蜀征伐の指揮をとるが不和となり、鄧艾に出し抜かれ成都を先取されてしまう。 蜀復興を企む姜維と結んで鄧艾を失脚させると、蜀での独立を図ったが部下に斬られた。 |
諸葛諸(ショカツショ) |
??? 魏の将。雍州刺史。鄧艾の命で沓中の姜維を挟撃し、退路を断つため要所を押さえる。 姜維が軍を返して雍州を攻める動きを見せたため、慌てて持ち場を離れ、姜維に逃げられた。 のち名誉を挽回しようと独断で剣閣を攻撃し、姜維に敗北。鍾会に処断されかかるが、諸将の諌めで命拾いする。 |
諸葛誕(ショカツタン) |
??258 字は公休。 魏の将。諸葛亮の従兄弟。反乱を起こした毋丘倹・文欽を攻めて平定したこともあったが、 後に、自身も司馬昭の専横に怒り呉と手を結んで魏に反旗を翻した。軍勢を包囲され、 突破を試みるも、魏の将・胡奮に討ち取られた。 |
徐質(ジョシツ) |
??253 魏の将。大斧の使い手。曹芳から輔国将軍に任ぜられ、司馬師に重用された。 司馬昭率いる軍の先鋒に配され、蜀の姜維と戦い、廖化、張翼を退ける。 蜀軍の兵糧補給を断つため、鉄籠山に向かうが、伏兵に囲まれ、姜維に討ち取られた。 |
成倅(セイサイ) |
??260 魏の将。成済の弟。諸葛誕が呉と組んで反乱すると鎮圧に参加する。 のち曹髦による司馬昭暗殺計画が露見すると、賈充の命令で成済とともに曹髦を殺害した。 曹髦派の粛清が完了すると賈充に欺かれて曹髦殺害の罪を問われ、殺害される。 |
成済(セイセイ) |
??260 魏の将。成倅の兄。曹髦による司馬昭暗殺の計画が王沈らの密告で明らかになると、賈充の指揮の下、禁裏に押し入り、曹髦らを殺害する。 曹髦の側近らの断罪が終わると、曹髦殺害の全責任を負わされ、口封じに殺害された。 |
石苞(セキホウ) |
??272 字は仲容。 魏の将。司馬師に重用され、徐州刺史などを歴任する。 諸葛誕の乱の際は、州泰とともに鍾会の策に従い、呉軍の先鋒・朱異を打ち破る活躍を見せた。 晋の時代に入ってから、讒言によって一時叛意を疑われたが、その後も司馬炎への忠義を貫いた。 |
陳騫(チンケン) |
??281 字は休淵。 魏の将。陳矯の次男。蜀や呉との戦いで功を立てる。諸葛誕が呉と結んで反旗を翻すと、王基とともに魏の先鋒を任され、呉軍に大勝した。 司馬炎の側近に加えられ、賈充や裴秀に「己より優れた人物」と賞賛された。政治や学問への関心は乏しかったという。 |
陳俊(チンシュン) |
??? 魏の将。諸葛誕が乱を起こすと呉が諸葛誕への援軍を送ってきたため、呉軍と戦う。 大量の牛馬や兵糧を運び、呉軍が襲来したら、放置して逃走する役割を鍾会に命じられた。 呉軍は物資に目を奪われて鍾会の策だと見抜けず、州泰・石苞率いる魏軍の奇襲を受けて大敗する。 |
田章(デンショウ) |
??? 魏の将。鍾会に従って蜀攻略に赴く。 姜維率いる蜀軍は堅固な剣閣に立て龍もったため、剣閣の西を抜け、江油へ先行するよう鍾会に命じられた。 道中に現れた蜀の伏兵三部隊を立て続けに打ち破り、別行動をしていた鄧艾の軍と合流。鄧艾に従って江油を攻略した。 |
田続(デンショク) |
??? 魏の将。鍾会、のち鄧艾の下で蜀攻略に参加する。 江油を落とした勢いで進軍を続けようとする鄧艾を諌め、兵士を休息させるよう主張し、鄧艾の怒りを買う。 同僚の取り成しで処断は免れたものの、鄧艾を恨み、蜀滅亡後の混乱に乗じて、鄧艾とその子・鄧忠を殺害した。 |
鄧艾() |
197?264 字は士載。 魏の将。司馬懿に才を見いだされ、蜀攻略戦で活躍する。鍾会と組んで蜀を滅ぼすが、のちに対立。 鍾会の讒言によって捕らえられ、護送中に暗殺された。 |
裴秀(ハイシュウ) |
223?271 字は季彦。 魏の臣。司馬昭の腹心の一人。諸葛誕の乱の際には、司馬昭の参謀を務める。 司馬昭が次男の司馬攸を世継に定めようとすると反対し、賈充らとともに長男の司馬炎を推した。 のち司馬炎への帝位禅譲を支援し、晋王朝を築かせる。地理学に精通し、『禹貢地域図』 『地形方丈図』らの地図を遺した。 |
馬隆(バリュウ) |
??? 字は孝興。 魏の将。令狐愚の墓が王淩の乱に加担したかどで暴かれると、恩人の墓として立派に直した。 鮮卑族が涼州で反乱を起こすと諸葛亮の考案した「八陣の法」や戦車を使って、少数の兵で鎮圧に成功したという。 多くの武功を立て、武威太守や西平太守を歴任した。 |
楊欣(ヨウキン) |
??? 魏の将。金城太守。鄧艾の命令で一軍を率い、蜀攻略に活躍する。甘松に置かれた蜀軍の陣を落とし、沓中を守る姜維を挟撃した。 鄧艾と協力して姜維を取り囲むが、姜維との一騎討ちに敗れて乗馬も失い、あわやというところで配下に救われる。 |
李輔(リホ) |
??? 魏の将。元は蜀の将・孟達の配下。魏に降伏した孟達が再び蜀に寝返ろうとした際、孟達を裏切って司馬懿に協力。 孟達が城を出た隙に城を奪って敗死させ新城太守となる。 のち鍾会の下で蜀攻略に加わり、鍾会が陽平関を攻めると同時に別働隊で楽城を攻撃し、陥落させた。 |
劉欽(リュウキン) |
??? 魏の将。魏興太守。鍾会・鄧艾らの大軍による蜀攻略を援護しようと、別働隊を率いて子午谷を抜け、蜀へ向かう。 蜀の将・柳隠の守る漢中の黄金囲を落とせず足止めされた。 柳隠は成都が魏軍に占拠された後も抵抗を続け、劉禅の書状を受けるまで降伏しなかった。 |
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