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合戦辞典

真・三國無双5 Empires 攻略 合戦辞典を掲載しています。
黄巾の乱(コウキンノラン)
太平道教祖・張角は治病により信徒を増やし、184年、各地で一斉蜂起させた。
目印に黄巾を身につけたため「黄巾賊」と呼ばれた。
盧植・皇甫嵩朱儁ら宦官の活躍により反乱の勢いは次第に衰え、張角が病死するに至ってほぼ鎮圧された。
しかし、その後も黄巾残党は各地で略奪など繰り返し、後漢滅亡の大きな要因となった。
虎牢関の戦い(コロウカンノタタカイ)
汜水関で華雄を討ち取り、勢いに乗る反董卓連合軍は虎牢関へと進軍するが、関前には呂布が待ち構える。
張飛が挑みかかり奮戦するも勝負はつかず、関羽が加勢して挟撃、さらに劉備も加わって攻め立てた。
呂布は3人を相手に戦うが、分が悪いと見て虎牢関へと戻った。
この戦いで連合軍の勢いを見た董卓は長安に遷都する決意を固めた。
下邳の戦い(カヒノタタカイ)
呂布は徐州を本拠とし、曹操劉備と争っていたが、曹操に内通する陳珪陳登父子の工作により小沛を失う。
下邳に籠もった呂布は、陳宮の忠告も聞かず酒色におぼれたかと思うと、
一転城内に禁酒令を出すなど配下の信用を失い、侯成魏続宋憲の裏切りにより捕らえられた。
呂布曹操に命乞いをするが、劉備の忠告により処刑された。
呉郡平定戦(ゴグンヘイテイセン)
孫堅の戦死後、袁術のもとにいた孫策は江東で旗揚げを決意。玉璽を質に兵を借り出陣する。
孫策のもとには程普黄蓋ら宿将、親友の周瑜、江東の二張らが集い怒涛の勢いで長江を渡った。
曲河に劉繇を破り、太史慈を説得して味方に加えると、呉郡の厳白虎、会稽の王朗と連戦連勝する。
江東の肥沃な大地を手中にし、呉の礎を築いた。
袁術討伐戦(エンジュツトウバツセン)
玉璽を入手し皇帝を称した袁術だったが、曹操孫策らに大敗し衰退する。
切羽詰った袁術は、公孫瓚を滅ぼして勢いに乗る袁紹を頼ろうと北上を決意した。
それを知った劉備は、曹操に兵を借りると袁術討伐に向かう。
張飛の一撃で紀霊が討ち取られると袁術軍は総崩れとなり寿春に戻ろうとした袁術は失意のうちに血を吐いて絶命した。
江東の戦い(コウトウノタタカイ)
江東制覇を目論む孫策は、劉繇が治める曲阿に進軍する。対する劉繇は、神亭の山麓に陣を構えた。
視察のため峠に出た孫策は、そこで劉繇の客将となっていた太史慈と激しい一騎討ちを行う。
その後、劉繇軍は太史慈を先鋒として戦うが、別働隊の周瑜に曲阿を奪われ、戦意を喪失。
太史慈の力も及ばず、孫策の追撃を受けて離散した。
官渡の戦い(カントノタタカイ)
白馬・延津での勝利後、曹操袁紹軍と官渡で対峙した。
曹操軍の兵糧不足を知った許攸は、許都急襲を袁紹に献策したが容れられず、曹操のもとに奔る。
曹操許攸の策に従い烏巣を奇襲し、袁紹軍の兵糧を焼き払った。
袁紹張郃高覧曹操本陣を襲わせるが敗北、張郃らは袁紹を見限り投降する。曹操軍は袁紹本陣を破り、大勝した。
河北掃討戦(カホクソウトウセン)
官渡の戦い以降、曹操に負け続けた袁紹は、失意のうちに病没する。
審配らの働きにより強引に跡を継いだ三男・袁尚は、長男・袁譚、次男・袁煕とともに曹操に対抗した。
曹操が内紛を誘うため河北から退くと、予想通り袁譚袁尚は対立。
曹操袁譚と結び、袁尚の本拠・鄴を攻め落とす。戦後、曹丕は鄴に残された甄姫を妻とした。
許都侵攻戦(キョトシンコウセン)
河北を制した袁紹は、曹操打倒のため南下を開始した。兵力に劣る曹操は官渡城に籠り、袁紹軍とにらみ合いとなる。
江東を収めた孫策は、曹操軍の主力が不在の隙をついて許都への侵攻を計画する。
しかし、その矢先孫策が殺害した呉郡太守・許貢の残党に襲撃され重傷を負う。
死に際し、弟の孫権を後継とし張昭周瑜に補佐を頼んだ。
長坂の戦い(チョウハンノタタカイ)
曹操の荊州侵攻に、劉備は江陵へ逃れるが、領民を従える劉備の行軍は遅く、長坂で追いつかれる。
乱戦の中、行方知れずとなった幼主・阿斗を保護した趙雲は、単騎で曹操軍の重囲を突破。
一方、橋の上には張飛が一人、曹軍百万を睨みつける。諸葛亮の計略を用心し近づかぬ曹操軍に張飛が大喝。
雷の如き大音声に、曹操軍は敗走した。
赤壁の戦い(セキヘキノタタカイ)
曹操との決戦に備え、周瑜は火計の準備を整えたが、風向きに悩まされていた。
周瑜の心中を察した諸葛亮は、七星壇を築き東南風を起こす。
風を得た周瑜は出陣を下知、黄蓋が火船を突入させると曹操の船団は瞬く間に炎に包まれた。
敗走する曹操は、伏兵に蹴散らされ、もはやこれまでというところを関羽に見逃されようやく落ち延びた。
潼関の戦い(ドウカンノタタカイ)
馬騰曹操暗殺に失敗して処刑されると、馬超は父の仇を討つために挙兵する。
馬超馬騰の義兄弟だった韓遂とともに涼州より攻め上り、長安とド潼関を攻略。
やがて曹操自ら率いる軍勢と激突するが、賈詡の離間の計にはまって韓遂と決裂してしまう。
韓遂曹操に降伏したことで、軍勢は総崩れとなり、馬超は西涼へと落ち延びた。
成都制圧戦(セイトセイアツセン)
張松の内応発覚により、劉璋と決裂した劉備は、白水関、涪水関、綿竹と攻略しつつ、成都に向け進軍した。
しかし、雒城で劉循張任らの頑強な抵抗を受け、落鳳坡に龐統を失って苦戦した劉備は、荊州から諸葛亮張飛趙雲らを援軍として呼び寄せる。
その後、馬超をも傘下に加えて成都を包囲。戦意を失った劉璋はついに降伏した。
荊州の戦い(ケイシュウノタタカイ)
劉備の益州平定後、孫権は荊州の返還を求めたが、劉備は涼州制圧後に返すと拒否した。
怒った孫権呂蒙らに命じて長沙・桂陽・零陵を奪取。劉備も軍を率いて荊州に向かい一触即発の状態となった。
しかし、曹操の漢中平定に脅威を感じた劉備孫権と和睦。
江夏・長沙・桂陽の三郡返還と引き換えに、孫権に魏の合肥を攻めさせた。
合肥の戦い(ガッピノタタカイ)
孫権は大軍を率い合肥へ出陣。張遼らは策を定め、楽進が呉の先鋒・甘寧らを誘き寄せ、張遼李典孫権本隊を奇襲した。
孫権は、張遼の猛攻を凌統が防いでいる間に退却しようとするが橋が落とされている。
そこで馬に鞭打って川を飛び越え、窮地を脱した。この戦いで張遼の勇名は江南に轟き、張遼の名を聞くと泣く子も黙ると言われた。
濡須口の戦い(ジュシュコウノタタカイ)
含肥の張遼から救援要請を受けた曹操は、これを江東平定の機と捉え、大軍を率い南下。
孫権凌統を先鋒とし、濡須ロで迎撃態勢を取った。
呉は甘寧の奇襲で一時優位に立つが、董襲陳武を失い、孫権自身も周泰に危機を救われる。
長期の対陣は不利と見た孫権は和睦を提案。曹操も此度の江東平定は無理と判断し、和睦を受け入れた。
定軍山の戦い(テイグンザンノタタカイ)
天蕩山で張郃を破った蜀の将・黄忠は、魏の名将・夏侯淵と対峙した。
黄忠法正の献策により定軍山より高い山上に布陣。夏侯淵は山を奪わんと攻めかけるが、黄忠は動かない。
やがて魏軍に疲れが見えると法正の合図で黄忠の軍勢が一気に山を駆け下る。
猛烈な勢いで突撃した黄忠は、浮き足立つ魏軍を破りついには夏侯淵を討ち取った。
漢中攻防戦(カンチュウコウボウセン)
夏侯淵の死後、曹操は自ら大軍を率いて漢水北岸に布陣。
魏軍に囲まれた黄忠趙雲が救出するのを見て追撃するが、趙雲空城の計により大敗する。
趙雲の活躍を喜んだ劉備は「一身都是膽也」 と激賞した。
さらに陽平関で許褚張飛に敗れ、苦戦を強いられた曹操は斜谷に陣を張るが、魏延の矢に前歯を折られ、漢中を放棄して撤退した。
樊城の戦い(ハンジョウノタタカイ)
劉備の漢中平定後、関羽は北上を開始。樊城に曹仁を包囲し、許都に攻め上る勢いを見せた。
曹操と結んだ孫権は、呂蒙を出陣させる。呂蒙傅士仁糜芳を寝返らせ荊州を征圧。
一転して南北から挟撃される形となった関羽は、樊城をあきらめ麦城に籠もった。
呉の大軍に囲まれた関羽は、益州へと逃亡を図るが捕らえられ、孫権に斬られた。
夷陵の戦い(イリョウノタタカイ)
関羽を討たれ復讐に燃える劉備に、呉軍は敗戦を重ねていた。
孫権に抜擢されて大都督となった陸遜は、守備に徹した。
敵が怖気づいたと見た劉備は、炎天を避け長江沿いに七百里に渡り陣を張る。
これを見た陸遜は、夜を待って蜀の陣地に火を放つと猛烈に攻め立てた。
大混乱に陥り、兵の大半を失った劉備は白帝城へと敗走した。
石亭の戦い(セキテイノタタカイ)
呉の周魴は、魏の曹休に投降を願い出ると自ら呉討伐の手引きをすると申し出る。
賈逵は計略を疑うが、曹叡は呉討伐を決断し、曹休を出陣させた。周魴は髪を切って忠心を誓い、曹休の信用を得る。
周魴に案内された曹休は石亭に布陣。そこに陸遜率いる呉の伏兵が襲い掛かる。
曹休はようやく謀られたことを悟るが大損害を受け撤退した。
街亭の戦い(ガイテイノタタカイ)
魏軍は蜀の補給線を断つベく街亭に進軍した。この動きを察知した諸葛亮は、馬謖に街亭の守備を命じる。
馬謖は、自らの知謀を過信し、副将の王平が諌めるのも聞かずに山上に布陣。
来襲した魏の司馬懿の大軍に四方を囲まれ、壊滅してしまう。
街亭を失い、やむなく漢中に退却した諸葛亮馬謖を軍法に照らし、涙ながらに処断した。
合肥新城の戦い(ゴウヒシンジョウノタタカイ)
曹休没後、満寵は合肥の北方に合肥新城を築き、難攻の地勢とした。
234年、諸葛亮の北伐に合わせ、孫権自ら十万の大軍を率いて合肥新城を攻撃。
同時に陸遜らを荊州、孫韶らを徐州へ進ませ、魏に対し三方から大攻勢に出た。
しかし予想に反し曹叡自らが水軍を率いて合肥に出向く。不利を悟った孫権は、曹叡の到着前に撤退した。
五丈原の戦い(ゴジョウゲンノタタカイ)
諸葛亮は魏と雌雄を決すべく、五丈原に司馬懿と対峙した。
死期が近いことを悟った諸葛亮は兵法をすべて姜維に託し、楊儀に退却の策を授けて世を去る。
諸葛亮の死を知った司馬懿は蜀軍を追撃。退却中の蜀軍が突如向き直ると、そこには諸葛亮の姿があった。
実は木像だったが、仰天して司馬懿が退いたため、蜀軍は無事に退却できた。

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