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武将辞典【他】
真・三國無双4猛将伝攻略 武将辞典【他】を掲載しています。阿会喃(アカイナン) |
?-? 南蛮王・孟獲の配下の将。第三洞の師。孟獲の援軍として戦ったが捕らえられ、釈放される。 再び出陣した際に「恥を知らぬのか」と罵られ、軍を退いた。 |
尹礼(インレイ) |
?-? 泰山の山賊。呂布が曹操と戦う際、陳宮に命じて呼び寄せた。 曹操の呂布討伐軍を途上で遮ろうとするが、許褚の奮闘の前に敗れる。 その後、呂布が亡くなると曹操に帰順した。 |
于吉(ウキツ) |
?-200 東方の仙人。護符と水で万病を治療したことから民の信仰を集める。 孫策は配下の将が于吉を妄信することに怒り、「邪教を禁じ、迷信をはらうため」と于吉を斬った。 以後、于吉は亡霊となって孫策につきまとい、重傷を負っていた孫策を死に追いやったといわれる。 |
于毒(ウドク) |
?-192 黒山賊の将。大陸各地の地の反乱軍と連合して、袁紹の本拠地である鄴を急襲。 一時的に袁紹軍を驚かしたが、袁紹の猛反撃にあって敗れた。 |
于糜(ウビ) |
?-? 揚州刺史・劉繇配下の将。攻め寄せた孫策と戦うが、三合もせずに生け捕らえられてしまう。 帰陣する孫策の脇に抱えられたまま、怪力によって絞め殺された。 |
袁胤(エンイン) |
?-199 袁術の甥。袁術が死ぬと、その柩と妻子を守って盧江へ逃れた。 しかし、途中で捕まって皆殺しにされる。その際は奪われた玉璽は、曹操の手へと渡った。 |
袁煕(エンキ) |
?-207 字は顕奕。 袁紹の次男。幽州の刺史。曹操に敗れてきた弟・袁尚を迎えるが、部下に背かれ烏丸に逃亡する。 のち遼東の公孫康を頼ったが、首を斬られ曹操に送られた。 |
袁術(エンジュツ) |
?-199 字は公路。 後漢の南陽太守。袁紹の異母弟。孫策に兵士を貸す代わりに、玉璽を預かった。 これをもって、自ら皇帝を称するが、人徳がなく悪政を敷いたため滅亡した。 |
袁尚(エンショウ) |
?-207 字は顕甫。 袁紹の三男。容姿に優れていたことから袁紹に寵愛された。 袁紹死後、当主の座を巡り長兄・袁譚と争う。のち曹操に敗れ、幽州刺史の次男・袁煕を頼った。 |
袁紹(エンショウ) |
?-202 字は本初。 名門・袁家の出身。反董卓連合軍の盟主となる。董卓の死後、中原に覇を唱えるべく曹操と争った。 しかし大軍を擁して臨んだ官渡の戦いで、内紛に加え、食料庫を襲われるなど、急所をつかれて大敗を喫した。 |
袁譚(エンタン) |
?-205 字は顕思。 袁紹の長男。青州の刺史。袁紹の死後、勝手に後継に立った末子の袁尚と争うが敗れる。 曹操の援助を得て袁尚に勝ったものの、結局曹操に討たれてしまう。 |
王方(オウホウ) |
?-? 董卓配下の将。董卓死後、長安に押し寄せてきた賊に内応して、城門を開いた。 のち、賊を討つべく攻め上ってきた馬超を迎え撃ち、一騎打ちして敗れる。 |
蒯良(カイリョウ) |
?-? 字は子柔。 劉表配下の臣。蒯越の兄。劉表の補佐役として活躍した。 孫堅が荊州に攻め寄せた際、武将の呂公に策を授けて孫堅を待ち伏せ、石と矢で攻撃し、戦死させた。 |
何儀(カギ) |
?-? 黄巾賊。黄巾の乱後、残党を率いて汝南を占拠していた。 当時義勇軍を組織していた許褚に捕まり、曹操の手によって処刑された。 |
賈詡(カク) |
147?223 字は文和。 董卓、李傕と仕えたのち、張繍の参謀となる。的確な献策で曹操軍を幾度となく破った。 その後、張繍ともども曹操に帰順し、魏軍の策士として重用された。 |
郭汜(カクシ) |
?-198 董卓配下の将。董卓死後、賈詡の進言で長安を急襲。王允らを殺し、李傕とともに朝廷を牛耳った。 のち、山賊となり、部下の伍習に殺された。 |
楽就(ガクシュウ) |
?-197 袁術配下の将。袁術が徐州攻めのために七軍を興した際、督戦官として連絡役を務めた。 しかし、袁術軍は敗れ、寿春で曹操軍に捕らえられて打ち首にされる。 |
郭大賢(カクダイケン) |
?-? 黄巾賊の将。蜂起した農民兵を指揮し、混乱に乗じて河北の一部を荒らし回った。 大軍を擁していたが戦術に劣り、袁紹軍率いる討伐軍に敗れた。 |
郭図(カクト) |
?-205 字は公則。 袁紹配下の臣。官渡の戦いで烏巣を襲撃された際に、曹操本陣を攻めるよう進言して敗北を招いた。 その罪を張郃らに着せたため、彼らは曹操軍に降る。 袁紹の死後は、その長子・袁譚の参謀役となるが、袁譚ともども曹操軍に討たれた。 |
何進(カシン) |
?-189 字は遂高。 妹が帝の皇后となったため外戚として出世。大将軍の位に就く。 宦官・十常侍の一掃を謀るが露見し、逆に謀殺された。 |
華雄(カユウ) |
?-191 董卓配下の猛将・董卓軍の先鋒を務めた。汜水関では孫堅を破り、勢いに乗って攻め寄せるが、関羽に討ち取られた。 正史では、孫堅に敗れ、斬られている。 |
管亥(カンガイ) |
?-? 黄巾賊の将。黄巾の乱後、残党数万で北海郡を襲う。 救援に駆けつけた劉備軍と合戦し、関羽と一騎打ちとなった。数十合に及ぶ力闘を演じるが、戦死した。 |
韓遂(カンスイ) |
?-215 字は文約。 涼州の盟主。義兄弟の馬騰が曹操に討たれ、馬騰の子・馬超と挙兵する。 しかし離間の策にかかり、曹操に降伏しようとして、怒った馬超に左腕を斬られた。 |
韓猛(カンモウ) |
?-? 袁紹配下の将。官渡の戦いの折陣地に兵糧を輸送するが、徐晃らに襲われて輜重を焼き払われる。 帰陣後、怒った袁紹により雑兵に格下げされてしまう。 |
顔良(ガンリョウ) |
?-200 袁紹配下の猛将。白馬の戦いでは先鋒となり、宋憲、魏続を討ち取った。 続けて勇将・徐晃をも敗走させたが、当時曹操の幕下にいた関羽に一合で斬られた。 |
魏続(ギゾク) |
?-? 呂布配下の将。候成、宋憲とともに呂布を裏切り曹操に降った。 白馬の戦いでは顔良相手に一騎打ちを挑むが、ただ一合で斬られた。 |
牛輔(ギュウホ) |
?-? 董卓配下の将。董卓の娘婿で、董卓が殺害されると、その仇を討つため長安に向かった。 しかし、呂布には敵わないと見て逃げ出し、途中で側近に殺された。 |
紀霊(キレイ) |
?-199 袁術配下の将。三尖刀の使い手。劉備軍が攻め込んだ際、関羽と三十合打ち合い引き分けた。 袁術の命令で劉備を攻めた折は、呂布の仲裁で兵を退く。 のち袁術は衰退して袁紹を頼るが、劉備に待ち伏せされ、張飛と戦って敗れた。 |
金環三結(キンカンサンケツ) |
?-225 南蛮の王・孟獲配下の将。第一洞の元帥。蜀の南征軍を迎え撃つため、阿会喃、董茶那とともに洞を出る。 三手に分かれて陣を布くが趙雲の夜襲を受け、出会い頭に討ち取られた。 |
厳綱(ゲンコウ) |
?-? 公孫瓚配下の将。袁紹との戦いでは先鋒を担う。 袁紹軍が一向に動かないことにしびれを切らして突撃するが、伏していた弓弩部隊に射立てられ、馬を返そうとしたところを斬られた。 |
厳政(ゲンセイ) |
?-? 黄巾賊。張宝配下の武将。朱儁ら官軍と劉備軍の攻勢を受け、陽城県の城に立て籠る。 落城必至と見切りをつけると、張宝を刺し殺し官軍に投降した。 |
厳白虎(ゲンハクコ) |
?-? 呉郡の賊。「東呉の徳王」を自称する。孫策に討たれ会稽の王朝を頼るが、再び孫策の前に敗走。 落ち延びた先で董襲に殺され、首級を孫策に献上された。 |
厳輿(ゲンヨ) |
?-? 厳白虎の弟。厳白虎が孫策の討伐を受けたとき、和睦の使者となる。 交渉の席で江東の折半を提案するが、孫策に斬り殺された。 |
高幹(コウカン) |
?-206 字は元才。袁紹の甥。并州の刺史。官渡で敗北した袁紹を救うために出撃するが、敗れて并州に戻る。 のち壺関にて曹操軍を食い止め、李典、楽進ら名将相手に善戦するが敗れた。 匈奴を頼ったが断られ、劉表を頼って荊州へ行く途上で殺される。 |
高順(コウジュン) |
?-198 呂布配下の将。呂布に従って各地を転戦した猛将で、「陥陣営」の異名を持つ。 呂布の敗北後、曹操の前に引き立てられたが、言い訳もせず潔く斬られた。 |
黄邵(コウショウ) |
?-194 黄巾軍の残党。汝南や潁川で略奪をしていたが、兵糧を調達するために攻め寄せた曹操の軍勢と戦い、李典に捕らえられて殺された。 |
高昇(コウショウ) |
?-? 黄巾賊。張宝の副将。曲陽の戦いに出陣する。 官軍の先鋒をしていた劉備は張飛を出陣させ、高昇は数合で突き落とされた。 |
候成(コウセイ) |
?-212 呂布配下の将。下邳で籠城していたとき、呂布に酒を贈るが、禁酒令を破ったとして棒罰を食らわされる。 この仕打ちを恨んだ候成は魏続、宋憲とともに寝返りを決意し、赤兎馬を盗んで曹操軍に投降した。 |
候選(ソウセン) |
?-? 韓猛配下の「旗本八騎」の1人。 馬超とともに長安を攻め落とすが、離間の策にかかった馬超が斬り込んできたため逃走。無事に逃れて曹操に降った。 |
黄祖(コウソ) |
?-208 劉表配下の将。江夏を守備するが孫堅軍に大敗した。 配下の甘寧を賊出身だからと冷遇し、呉に去られてしまう。のち呉の将となった甘寧によって斬られた。 |
公孫越(コウソンエツ) |
?-? 公孫瓚の弟。袁紹に併呑された冀州の領地割譲を申し入れるため、兄の使者となって袁紹のもとを訪れる。 帰途、袁紹配下の待ち伏せに遭い、討たれた。 |
公孫瓚(コウソンサン) |
?-199 字は伯珪。 後漢の北平太守。劉備とともに盧植に学んだ。白馬で編成した精鋭部隊を率い、「白馬将軍」と呼ばれる。 黄巾賊討伐に活躍するが、のち袁紹に敗れた。 |
高定(コウテイ) |
?-? 越雋太守。雍闓らともに反乱を起こしたが、諸葛亮の離間の策によって降伏。 のち蜀の臣となり、雍闓、朱褒を倒した功績により、益州の太守に任ぜられた。 |
高沛(コウハイ) |
?-212 劉璋配下の将。楊懐とともに涪水関を守備する。 劉備の暗殺を計画するが、軍師の龐統に察知され、劉封・関平らに取り押さえられて処刑された。 |
皇甫嵩(コウホスウ) |
?-195 字は義真。 後漢の臣。黄巾の乱では、張梁、張宝の軍を火攻めで破り、張角の墓を暴いて遺骸から首を挙げた。 一時は隠棲していたが、董卓死後朝廷に復帰する。 |
高覧(コウラン) |
?-? 袁紹配下の将。官渡の戦いでは曹操軍の猛将・許褚を相手に戦う。 のちに同僚の張郃とともに曹操に帰順。汝南の劉備軍を攻め、劉辟を斬った。 |
黄竜(コウリュウ) |
?-? 黄巾賊の将。蜂起した農民兵を指揮し、各地で狼藉を働いた。 朝歌の鹿場山で袁紹率いる討伐軍と激突し、左髭丈八とともに袁紹に討たれた。 |
胡車児(コシャジ) |
?-? 張繍配下の勇士。異民族の出身で張繍軍随一の豪傑。 宛城で曹操を奇襲する際、護衛の典韋の戟を盗むよう進言し、自ら実行して襲撃を成功に導いた。 |
胡軫(コシン) |
?-? 董卓配下の将。汜水関にて袁紹の率いる反董卓連合軍を迎え撃った。 華雄の副将を務め、五千の兵を率いて戦うが、孫堅配下の程普によって討ち取られた。 |
兀突骨(ゴツトツコツ) |
?-? 烏丈国の王。身の丈十二尺で体を鱗に覆われた大男。 刀も矢も通さない藤甲軍を率いて蜀軍を苦しめるが、諸葛亮の策略にかかって、盤蛇谷で焼き殺された。 |
蔡瑁(サイボウ) |
?-? 劉表配下の将。荊州の豪族の出。劉表の後妻・蔡夫人の弟。 劉琮を後継者にするため、邪魔な劉備の暗殺を企てるが失敗に終わった。水軍の指揮に秀でる。 |
左慈(サジ) |
?-? 字は元放。 方術使い。烏角先生とも。峨眉山中で修行し、「遁甲天書」を得た。忽然と曹操のもとへ現れ、曹操をたぶらかし投獄される。 その後も曹操を愚弄し、ついには処断されたが死ななかった。曹操の死を予言して消えたのち、曹操は昏倒する。 |
左髭丈八(サシジョウハチ) |
?-? 黄巾賊の将。蜂起した農民兵を、黄竜らとともに指揮し、各地で狼藉を働いた。 朝歌の鹿場山で袁紹率いる討伐軍と激突し、奮戦むなしく敗れた。 |
周昕(シュウキン) |
?-? 字は大明。 会稽太守・王朗配下の将。孫策軍の太史慈と戦う王朗に加勢するが、背後を突かれ城内に逃げ込む。 客将・厳白虎と追撃に出るが、罠にかかって斬られた。 |
祝融(シュクユウ) |
?-? 南蛮の王・孟獲の妻。伝説の火の神・祝融の子孫。気が強く、武勇に優れ、飛刀を得意とする。 孟獲に代わって出陣し、張嶷・馬忠を生け捕ったが、魏延・馬岱に捕らえられ、人質交換で自陣に帰してもらった。 |
朱儁(シュシュン) |
?-195 字は公偉。 後漢の将。黄巾の乱に際し劉備、孫堅とともに黄巾賊を討伐する。この功績で車騎将軍に任ぜられた。 董卓の死後、李傕、郭汜とともに朝政にあたる。 |
朱褒(シュホウ) |
?-? 牂牁太守。建寧太守・雍闓が孟獲と手を組んで反乱を起こすと、高定とともに参加した。 諸葛亮の離間の策により高定に殺される。 |
淳于瓊(ジュンウケイ) |
?-200 袁紹配下の将。もとは袁紹や曹操と同じ西園八校尉の1人。 官渡の戦いで兵糧庫の烏巣を守るが、酒に溺れて曹操の焼き討ちを受け、怒った袁紹に殺された。 |
荀諶(ジュンシン) |
?-? 冀州の刺史・韓馥を高幹とともに説得し、冀州を袁紹に譲らせた。のち袁紹配下となる。 袁紹の曹操討伐に賛同し、従軍した。正史では苟彧の弟である。 |
徐栄(ジョエイ) |
?-? 董卓配下の将。長安へ遷都の途中、伏兵となって曹操軍を襲撃し、敗走する曹操の肩を射当てた。 しかし、救援に現れた夏侯惇の手にかかって倒される。 |
審配(シンパイ) |
?-204 字は正南。 袁紹配下の臣。参謀として袁紹を支えるが、苟彧からは「我意が強く策がない」と評された。 袁紹の死後は袁尚を擁立する。のち徐晃に捕らえられるが、降伏せず袁家に忠を尽くし、主君のいる北を向き処刑された。 |
辛評(シンピョウ) |
?-205 字は仲治。 韓馥配下の臣。韓馥が逃亡した後は袁紹に仕え、のち袁譚を補佐して活躍した。 使者として曹操に会った際に配下となるように誘われるが、固辞して帰る。 しかし袁譚に二心を疑われ、心痛のあまり亡くなった。 |
水鏡(スイキョウ) |
173?208 姓名は司馬徽、字は徳操。水鏡先生と呼ばれる。人物鑑定に長け、諸葛亮や龐統の才を見抜く。 のち、劉備に2人のいずれかを得れば天下も取れると推薦した。 彼の噂を聞いた曹操から配下に誘われるが、その前後に病死したと伝えられる。 |
成宜(セイギ) |
?-? 韓遂配下の「旗本八騎」の1人。 馬超とともに長安を攻め落とすが、空の敵陣におびき寄せられて囲まれ、夏侯淵に斬り殺された。 |
青牛角(セイギュウカク) |
?-? 黒山賊の首領。張牛角ともいう。張燕らと合流し、討伐軍と戦うが、流れ矢に当たり戦死する。 息を引き取る際、張燕に黒山賊の後事を託した。 |
薛礼(セツレイ) |
?-195 揚州刺史・劉繇の配下。父の旧領を取り戻そうとした孫策が劉繇を攻めたとき、張英、陳横とともに秣陵を守っていた。 だが、孫策の計にかかって誘き出され、伏兵に遭って戦死した。 |
宋憲(ソウケン) |
?-? 呂布配下の将。同僚の候成がささいな事から棒罰を受けたのを見て、候成、魏続とともに曹操に投降した。 のちに袁紹軍との戦いで、猛将・顔良に斬られた。 |
曹性(ソウセイ) |
?-198 呂布配下の将。濮陽で曹操を追い詰めるが、典韋に阻まれて取り逃がす。 のちに夏侯惇に追われる高順を逃がすため陣中より矢を放ち、夏侯惇の左目を射抜く。 しかし、逆上した夏侯惇に額を一突きにされた。 |
臧覇(ゾウハ) |
?-? 字は宣高。呂布の配下。呂布軍の大将として、各地を転戦する。 曹操との戦いでは、山賊と結んで兗州攻略に臨んだ。呂布滅亡後、曹操に降伏し山賊たちも帰順させた。 |
沮授(ソジュ) |
?-? 袁紹配下の臣。曹操討伐をたびたび諌めるが聞き入れられず、投獄される。 袁紹が敗れたのち、曹操に投降を勧められるが拒み、脱走しようとして殺された。 |
蘇飛(ソヒ) |
?-? 黄祖配下の将。江夏の都督で、黄祖に甘寧を取り立てるように勧めた。 だが、甘寧は海賊の出身だからと用いなかったので、他国へ移れるよう取り計らう。 その後、甘寧は孫権に降り、孫権軍に捕らえられた蘇飛は甘寧に命を救われた。 |
帯来洞主(タイライドウシュ) |
?-? 孟獲の妻・祝融夫人の弟。蜀軍相手に敗戦続きの孟獲に、木鹿大王、兀突骨らを紹介。 加勢してもらうよう進言した。 |
朶思大王(ダシダイオウ) |
?-? 南蛮秀龍洞の元帥。孟獲の弟・孟優の友人で、南蛮一の智者と称された。 少勢の孟獲を助け、秀龍洞の四つの毒泉で諸葛亮に対する。 |
張英(チョウエイ) |
?-? 揚州刺史・劉繇配下の将。孫策に攻められた際、一隊で牛渚の地を守ってみせると豪語するが敗れる。 のち秣陵で孫策配下の将・陳武に突き殺された。 |
張燕(チョウエン) |
?-? もと常山郡の群雄。袁紹のもとにいた呂布に攻められて本拠を失った。 のち黒山で山賊の将となり、十万の兵を擁する。曹操に帰順し、平北将軍に任じられた。 |
張横(チョウオウ) |
?-211 西涼の太守・韓遂配下の将。曹操に復讐しようとする馬超に加勢し、長安を陥落させた。 馬超が魏の賈詡の離間の計にかかって韓遂と同士討ちを始めると、曹操に攻め込まれ、乱闘の中、戦死する。 |
張角(チョウカク) |
?-184 鉅鹿郡の在野の士。太平道の教祖として民衆に教えを広める。世の乱れに乗じて広く民衆の支持を集めた。 黄巾党を結成して漢王室に敵対、「天公将軍」を自称し、黄巾の乱を起こした。 |
張虎(チョウコ) |
?-? 劉表配下の将。江夏の大将で、荊州の劉表と呉の孫堅が戦ったとき、劉表配下の黄祖に従った。 孫堅配下の韓当と一騎打ちし、三十余合の末、倒された。 |
張済(チョウサイ) |
?-? 董卓配下の将。車騎将軍。張繍の叔父。傾国の美女・鄒氏を妻とした。 兵糧不足のために劉表を攻めるが、流れ矢に当たり戦死した。 |
張繍(チョウシュウ) |
?-207 張済の甥。張済の死後、軍を率いて劉表に協力した。一時は曹操に降るが、叔父の妻を奪われたことで反旗を翻す。 のち、賈詡の進言に従って曹操に基準した。 |
趙岑(チョウシン) |
?-? 董卓配下の将。華雄に従って、袁紹らの連合軍を迎え撃った。 董卓が洛陽を放棄して長安に遷都しようとすると、その動きに合わせて汜水関を明け渡した。 |
張任(チョウジン) |
?-214 劉璋配下の将。落鳳坡で、劉備の軍師・龐統を射殺した。 敗北して捕らわれたが「忠臣に二君に仕えず」として、劉備の説得に応じず潔く斬首された。 |
貂蝉(チョウセン) |
?-? 歌姫。絶世の美女で、歌舞に優れていた。司徒・王允のもとで実の娘同然に育てられる。 董卓の専横を憂う王允のため、董卓と呂布に近づいて、「連環の計」を仕掛け、見事に二人の仲を裂くことに成功する。 |
張宝(チョウホウ) |
?-184 張角の弟。張角とともに漢王室に対し挙兵、黄巾の乱を起こす。 「地公将軍」を自称し、兄譲りの妖術で反乱を指揮するが、部下の厳政に刺し殺された。 |
張曼成(チョウマンセイ) |
?-? 黄巾賊の将。太平道の教祖である張角に応じて蜂起、黄巾の乱を起こした。 皇甫嵩、朱儁ら朝廷の討伐軍を南陽の地に迎え撃つ。 |
張梁(チョウリョウ) |
?-184 張角、張宝の弟。兄とともに漢王室に対して挙兵し、黄巾の乱を起こす。 「人公将軍」を自称し、張角死後も反乱を指導するが、官軍に敗れて曲陽で戦死した。 |
張魯(チョウロ) |
?-? 字は公祺。 五斗米道の教祖。漢中一帯に大勢力を築く。 曹操軍に攻め込まれたとき、倉は国家のものだからと焼かずに封印させて去った。 これを評価した曹操は、降伏した張魯を鎮南将軍に任じた。 |
陳横(チンオウ) |
?-? 揚州刺史・劉繇配下の将。薛礼、張英とともに秣陵を守備する。 討って出たのを伏兵に攻められ、孫策配下の将・蒋欽に射殺された。 |
陳紀(チンキ) |
?-197 袁術配下の将。呂布の討伐に参加するが、失敗する。 その後、曹操に攻め込まれ寿春城内に籠って戦うが、敗れて捕らえられ、打ち首にされた。 |
陳宮(チンキュウ) |
?-198 字は公台。 後漢の中牟県令。董卓暗殺に失敗した曹操と同行するも、その非情な一面を見て決別する。 のち呂布の謀臣として曹操と戦うが、敗北して呂布ともども捕まり、自ら望んで処刑された。 |
陳就(チンシュウ) |
?-208 黄祖配下の将。孫権が黄祖攻めを行った際、黄祖軍の先鋒を務め、軍艦を率いて戦った。 だが、呉軍の先鋒だった呂蒙によって、一刀のもとに斬り殺された。 |
陳生(チンセイ) |
?-? 劉表配下の将。襄陽の大将で、荊州の劉表と呉の孫堅が戦ったとき、劉表配下の黄祖に従った。 張虎の加勢に出たところ、孫堅の子・孫策の矢に倒れた。 |
陳蘭(チンラン) |
?-? 袁術配下の将。徐州攻めに副将として参加し、劉備や呂布の軍と戦った。 しかし皇帝を僭称した袁術の贅沢ぶりに見切りをつけ、雷薄とともに山賊になる。 のち劉備に敗れて逃走する袁術軍を襲い金品を強奪した。 |
程遠志(テイエンシ) |
?-? 黄巾賊の将。反乱軍の兵を率い、幽州を襲う。 大興山麓で劉備の率いる義勇軍と合戦になり、初陣の関羽にただ一合で斬られた。 |
程銀(テイギン) |
?-? 韓遂配下の「旗本八騎」の1人。馬超軍とともに長安を陥落させた。 のちに渭南で曹操軍と戦うが、同僚の張横らともに戦死した。 |
田豊(デンポウ) |
?-200 字は元皓。 袁紹配下の謀臣。有能ゆえにしばしば直言し、苟彧に「剛直で主君に逆らう」と評された。 曹操との戦いでも進言いるが容れられず、果てに投獄される。案の定袁紹は敗北し、田豊は逢紀の讒言を受けて自殺した。 |
陶謙(トウケン) |
132?194 字は恭祖。 徐州刺史。董卓討伐連合軍に参加。のち曹操の父・曹嵩が曹操のもとへ向かう際、配下に裏切られ、曹嵩を殺されてしまう。 激怒した曹操に猛攻撃を受けるが、劉備らの援軍によって徐州を守りきった。その後、劉備に徐州を委ねて死亡する。 |
鄧賢(トウケン) |
?-? 劉璋配下の将。劉璋の側近として劉備に注意するよう諌める。 龐統の命令で魏延が剣舞に見せかけて劉璋を斬ろうとしたが、張任らとともに踊り出て防いだ。 |
董卓(トウタク) |
?-192 字は仲穎。 西涼で太守をしていたが、何進の召集に応じて上洛。混乱に乗じて幼い帝を擁し政権を握った。 猛将・呂布を養子にし、武力を背景に少帝廃立、長安遷都などの横暴を極めるが、呂布の手にかかって最期を遂げた。 |
董茶那(トウトナ) |
?-? 南蛮王・孟達の配下の将。第二洞の師。阿会喃らとともに孟獲の援軍に加わるが捕らえられ、諸葛亮により釈放される。 のちに孟獲と対立し、殺された。 |
董旻(トウビン) |
?-192 字は叔穎。 董卓の弟。董卓が献帝を擁して権力を握ったのち、左将軍の地位に任じられる。 呂布の裏切りで董卓が殺されると、同罪であると処刑され、首をさらされた。 |
鄧茂(トウモ) |
?-? 黄巾賊の将。程遠志の副将として、ともに幽州を襲うが、義勇軍に加わっていた張飛に、ただ一合で倒された。 張飛の得物である蛇矛の最初の犠牲者。 |
鄧龍(トウリュウ) |
?-208 黄祖配下の将。孫権が黄祖を攻めた際、陳就とともに先鋒を務め、軍艦を率いて戦った。 だが、呉軍の副将となっていた甘寧によって斬り殺された。 |
裴元紹(ハイゲンショウ) |
?-? 黄巾賊の将。黄巾の乱後、山賊の頭をしていた。 関羽の赤兎馬を奪い取ろうとするが、相手が関羽と知って帰順。仲間の周倉を関羽に紹介した。 |
波才(ハサイ) |
?-? 黄巾賊の将。太平道の教祖である張角に応じて蜂起、黄巾の乱を起こした。 皇甫嵩、朱儁ら朝廷の討伐軍を河南の地に迎え撃つ。 |
馬騰(バトウ) |
?-211 字は寿成。 西涼の太守。後漢の西征将軍。馬超の父。董卓討伐連合軍に参加。 董卓の残党・李傕らを討つため長安に上るが、果たせなかった。 のち曹操暗殺の計画に加わっていたことが露見し、曹操に許昌へ誘き出され、討たれる。 |
樊稠(ハンチュウ) |
?-? 董卓配下の将。董卓死後、攻めてきた馬騰、韓遂の軍を破って、追撃した。 同郷のよしみで韓遂を見逃したため、謀反の罪で李傕に斬られた。 |
樊能(ハンノウ) |
?-? 揚州刺史・劉繇配下の将。仲間の于糜を捕らえた孫策の後を追うが、槍で突こうとしたところ孫策の大喝を浴び、落馬して死んだ。 |
費観(ヒカン) |
?-? 字は賓伯。 益州の牧・劉璋の妻の弟。雒城を落とした劉備を綿竹で待ち受ける。 費観は李厳に迎え撃たせるが捕らえられ、逆に李厳の説得で劉備に降った。 のち、成都入りした劉備に用いられる。 |
文醜(ブンシュウ) |
?-200 袁紹配下の猛将。同僚・顔良の仇を討たんとして延津に出陣、曹操軍の襲撃に対し奮戦する。 張遼、徐晃の二将を退ける活躍を見せたが、関羽に倒された。 |
忙牙長(ボウガチョウ) |
?-225 南蛮王・孟獲の副将。孟獲の命により、諸葛亮の南征軍を迎え撃つ。 王平を相手に戦うが、敵の誘いに乗り大敗した。その後、馬岱と戦って一合で斬られた。 |
逢紀(ホウキ) |
?-202 字は元図。 袁紹配下の謀臣。曹操配下の苟彧から「勇あれど人の言を用いぬ」と評された。 官渡の敗戦後、讒言により田豊を処刑させる。 袁紹の死後、袁尚を擁立して袁譚の陣に赴くが、援軍要請に失敗して袁譚に斬られた。 |
木鹿大王(モクロクダイオウ) |
?-? 南蛮八納洞の洞主。法術を使って風雨を呼び起こし、猛獣を従え、自らは巨象に跨って出陣して蜀軍を脅かした。 しかし、諸葛亮に術を破られ、戦死する。 |
孟優(モウカク) |
?-? 南蛮の王。蜀の南方の地を支配していたが、蜀に対し反乱を起こす。 遠征に来た諸葛亮を相手に戦ったが、その軍略には敵わず、七度捕らえられ七度放される。 ついには諸葛亮に心服し、蜀への帰順を誓った。 |
孟節(モウセツ) |
?-? 南蛮王・孟獲の兄。万安渓という淵で「万安隠者」と称して暮らしていた。 山の神に導かれてきた諸葛亮を迎え、毒泉に冒された兵士らの治癒に協力する。 |
孟優(モウユウ) |
?-? 南蛮王・孟獲の弟。諸葛亮の南征軍に敗れた兄に朶思大王を紹介し、蜀軍に対抗するように進言する。 しかし兄ともども諸葛亮に捕らえられ、蜀に帰順した。 |
楊懐(ヨウカイ) |
?-212 劉璋配下の将。高沛とともに涪水関を守備する。劉備から支援要請の使者が来たとき、劉璋に断るよう進言した。 のち高沛と劉備暗殺を計画するが、軍師の龐統に察知され、取り押さえられて斬首された。 |
雍闓(ヨウガイ) |
?-? 建寧太守。孟獲と手を組み蜀に対し反乱を起こした。 諸葛亮の離間の策で、越雋太守の高定と仲たがいし、高定配下の鄂煥に殺されて反乱は平定された。 |
楊秋(ヨウシュウ) |
?-? 韓遂配下で「旗本八騎」の1人。 曹操への和睦の使者であったが、韓遂が馬超と不和になったため、投降の使者として再び曹操のもとに赴いた。 |
楊奉(ヨウホウ) |
?-197 もと李傕の配下。反乱するが失敗して逃亡し、献帝の護衛に加わる。曹操と敵対して敗れ、袁術を頼った。 その後、呂布方に寝返り、袁術軍を破った。 牧に任じられるが、略奪を働いたとして、劉備の命により関羽・張飛に討ち取られる。 |
楊鋒(ヨウホウ) |
?-? 南蛮の銀治洞の洞主。蜀軍と戦う孟獲の陣に、5人の息子を連れて加勢に来た。 だが、援軍を歓迎する宴会の途中で孟獲らを捕らえ、諸葛亮に引き渡した。 |
雷薄(ライハク) |
?-? 袁術配下の将。劉備討伐のため出陣するが、裏切った呂布と戦うことになり大敗した。 帝位に就いて贅沢を極める袁術を見切り、陳蘭とともに山賊となる。 のち敗走する袁術軍を襲撃して金品を強奪した。 |
李傕(リカク) |
?-198 字は稚然。 董卓配下の将。董卓死後、郭汜らと王允を殺し、献帝を擁して政権を握る。 のち郭汜とも争う羽目になり、自滅の道をたどった。 |
李堪(リカン) |
?-? 韓遂配下の「旗本八騎」の1人。離間の策にかかった馬超が、韓遂の陣営に斬り込んできたため逃走。 馬超を狙った于禁の矢が当たり落馬して死亡した。 |
李儒(リジュ) |
?-? 董卓配下の謀臣。董卓の娘婿。数多くの策を進言し、悪政をもたらした。 貂蝉らの「連環の計」を見抜くが諌めきれず、董卓の暗殺後に同罪として処刑された。 |
李粛(リシュク) |
?-192 董卓配下の臣。赤兎馬を手土産に呂布を説得し、董卓に寝返らせて義父・丁原を殺させた。 のち王允の董卓暗殺計画に参加し、董卓を宮中に誘い出す。 その後、呂布の配下として戦うが、敵の夜襲に敗走し、呂布の怒りに触れて殺された。 |
李大目(リダイモク) |
?-? 黄巾賊の将。蜂起した農民兵を指揮し、各地で狼藉を働いた。 どんぐりのような大きな目玉を持っており、相手を威圧するために自らこう名乗ったという。 |
李豊(リホウ) |
?-197 袁術配下の将。呂布討伐に参戦し呂布と一騎打ちするが、利き腕を突かれて敗走する。 袁術が曹操に敗れたのち寿春を守るが、曹操軍に捕らわれて処刑された。 |
李蒙(リモウ) |
?-? 董卓配下の将。董卓死後、王方とともに長安の城門を開き、賊の入城を助けた。 のち、賊を討つべく攻め上がってきた馬超に捕らえられ斬首される。 |
劉延(リュウエン) |
?-? 東郡の太守。官渡の戦いでは、袁紹配下の顔良が白馬に向かっていることを曹操に知らせ、当時曹操に降っていた関羽に顔良を討たせる。 その後、劉備の消息が知れ、劉備のもとへ戻ろうとする関羽に、黄河の渡し場は夏侯惇配下の将が守っていることを伝えた。 |
劉璝(リュウカイ) |
?-? 劉璋配下の将。成都に侵攻しようとする劉備軍に立ち向かうが、攻め込まれる。 城を固め抵抗しようとするも、味方の張翼に斬られ、開城されてしまった。 |
劉琦(リュウキ) |
?-209 劉表の長男。弟・劉琮を後継者にしようとする義母・蔡夫人に命を狙われるが、諸葛亮の助言によって江夏守備に就き、難を逃れた。 のちに荊州の刺史となる。 |
劉勲(リュウクン) |
?-? 字は子台。 盧江の太守。劉繇を破って江東を切りしたがえた孫策は、盧江に矛先を向けた。 孫策に勧められて出陣した劉勲は、その隙に盧江郡を奪われてしまい、やむなく北へと逃れる。 のち江東は孫策によって平定された。 |
劉循(リュウジュン) |
?-? 劉璋の長男。劉備軍が成都に攻め寄せたとき父・劉璋に願い出て迎撃に向かい、敗れた。 正史では、一年にわたり劉備軍本隊の攻撃を防いだという。 |
劉璋(リュウショウ) |
?-219 字は季王。 後漢の益州牧。劉焉の子。張魯の侵攻に備えるべく、荊州の劉備を迎え入れる。 しかし有能な君主を求める家臣の手引きにより劉備軍の成都侵攻を許し、戦力を残しながらも降伏した。 |
劉表(リュウヒョウ) |
142?208 字は景升。 荊州の刺史。名士の代名詞「江夏の八俊」の1人。中原の混乱をよそに、荊州を安定に導いた。 優柔不断な性格から大陸統一の好機をたびたび見過ごした。 |
劉繇(リュウヨウ) |
?-? 字は正礼。 揚州の刺史。同郷の勇将・太史慈を配下にするものの使いこなせなかった。 孫策に攻められて敗北し、豫章へと落ち延びていった。 |
劉曄(リュウヨウ) |
?-? 字は子陽。 魏の臣。後漢の皇族。郭嘉の推挙で曹操配下となる。対袁紹戦では投石車を発案して敵の櫓を撃退。 さらに坑道を掘り進む敵を掘割で防がせるなど、官渡の勝利に貢献した。 その後も多くの献策や進言を行い、曹氏三代に渡って信任される。 |
呂威曠(リョイコウ) |
?-? 袁紹配下の将。兵糧基地の烏巣を守備した。 しかし、大将の淳于瓊が酒宴ばかりしていたため、曹操の襲撃を受けて兵糧を焼き払われてしまう。 |
梁興(リョウコウ) |
?-211 韓遂配下の将。馬超軍と共同で長安を陥落させる。 曹操の参謀・賈詡の「離間の計」にかかった馬超が、韓遂を問いただそうと斬り込んで来た際、立ち向かったものの一瞬にして馬超に斬り倒された。 |
梁剛(リョウコウ) |
?-197 袁術配下の将。袁術が呂布と戦った際、督戦官として連絡役を務めるが敗れた。 さらに袁術は曹操に敗れて逃げ出し、寿春を守備していた梁剛は生け捕りにされ打ち首となった。 |
呂公(リョコウ) |
?-? 劉表配下の将。劉表が孫堅軍に囲まれたため、袁紹に加勢を求める使者に立つ。 その際、蒯良の策で伏兵を忍ばせて孫堅を誘い込み、石と矢で討ち果たした。 |
呂曠(リョコウ) |
?-207 袁尚配下の将。呂翔の兄。曹操に攻められた際、袁尚の兄・袁譚を通じて曹操に降る。 のち、呂翔とともに新野の劉備を攻撃するが、趙雲に突き殺された。 |
呂翔(リョショウ) |
?-207 袁尚配下の将。呂曠の弟。曹操に攻められた際、袁尚の兄・袁譚を通じて曹操に降る。 その後、兄とともに新野の劉備を攻撃するが、張飛に一合で倒された。 |
呂布(リョフ) |
?-198 字は奉先。 武芸を極め、弓馬に優れた猛将。「人中の呂布、馬中の赤兎」と称される。 一日に千里を走るという赤兎馬を駆って、得物の方天画戟を振るった。 義父の丁原を斬って董卓配下となるが、その董卓をも裏切った。 |
冷苞(レイホウ) |
?-? 劉璋配下の将。鄧賢と共同して劉備軍の黄忠、魏延と戦う。 一度は捕らえられるが、投降するふりをして逃げたため、再び捕らえられたときに処刑された。 |
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