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武将辞典【魏】
真・三國無双4猛将伝攻略 武将辞典【魏】を掲載しています。韋康(イコウ) |
?-212 字は元将。 魏の将。涼州参軍の楊阜によって涼州刺史に推参、任命される。 馬超が攻めてくると冀城を守るが、苦戦を強いられた。 夏侯淵に援軍を求めたが受け入れられず、やむなく馬超に降伏する。 馬超によって一族もろとも謀殺された。 |
尹奉(インホウ) |
?-? 字は次曾。 魏の将。歴城で統兵校尉を務める。姜叙、趙昴らに加勢し、楊阜の仇討ちを果たすために馬超を攻めた。 馬超の抵抗に遭って家族を失ったが、屈せずに勝利する。夏侯淵が援軍として到着すると、命令を受けて守備に戻った。 |
于禁(ウキン) |
?-221 字は文則。 曹操の旗揚げ当時から付き従って各地を転戦。冷静さを曹操に絶賛された。 樊城の攻防で関羽に敗北して降伏。孫権により魏に送還されたが、汚名を恥じて病死した。 |
王植(オウショク) |
?-200 滎陽の太守。縁組していた洛陽の太守・韓福が関羽に斬られたため、関羽を闇討ちにしようと関に迎えた。 だが、部下の胡班が関羽に敬服して逃がしてしまう。慌てて後を追った王植は、関羽に一刀両断にされた。 |
王双(オウソウ) |
?-228 字は子全。 魏の将。熊のごとき巨漢で、顔は黒く、眼は黄色かったという。 万夫不当の猛将で、大きな得物や強弓を軽々と扱った。 曹叡の信任を得て虎威将軍に任じられ、曹真指揮のもと、 ![]() 諸葛亮の策にはまり、敗北した。 |
王朗(オウロウ) |
?-228 字は景興。 魏の臣。曹操、そして曹丕と仕え、しぶる献帝を脅し譲位を迫った。 渭水の戦いで諸葛亮に論戦を挑むが、一蹴されて憤死した。 |
賈逵(カキ) |
?-? 字は梁道。 魏の臣。曹彰が曹丕の後継の座を奪おうとするのを諌めた。 対呉戦では、曹休の参謀として参陣し、周魴の偽りの投降を見抜いた。 |
華歆(カキン) |
157?231 字は子魚。 予章の太守であったが、呉の孫策に降る。 のちに孫権の使者として魏に赴き曹操配下となった。 龍の頭になぞえられるほどの才知を誇りながらも、伏后の髪をつかんで連行したり、献帝を脅して譲位を迫ったりと非情な人物であった。 |
郭嘉(カクカ) |
170?207 字は奉考。 曹操の軍師。際だった知略と判断力をもって厚く信任された。 呂布討伐や袁紹との戦いに貢献するが、北方平定時に病に冒され38歳で没する。 赤壁ので敗戦した曹操は「郭嘉がいたなら」と嘆いたという。 |
郝昭(カクショウ) |
?-? 字は伯道。 魏の将。正史では雑号将軍。若年より軍に身を投じて、各地で勲功をあげる。 のち都督・司馬懿の推挙で陳倉の守将に抜擢され、蜀軍の北伐にあたった。 諸葛亮や魏延の猛攻を巧みにしのぐが、病に倒れる。のちに列候に封ぜられた。 |
楽進(ガクシン) |
?-218 字は文謙。 曹操配下の勇将。曹操の旗揚げ当時から付き従った。 各地を転戦して目覚しい活躍を見せ、張遼、于禁、徐晃、張郃と並んで、魏の五将軍として称賛された。 |
郭淮(カクワイ) |
?-225 字は伯済。 魏の行軍司馬。曹真や司馬懿の指揮のもと ![]() 東奔西走し、局地的な勝利はあったものの、完全勝利は一度もなかった。 のち蜀軍との戦いで姜維の矢を眉間に受け、絶命する。正史では、死後に大将軍に昇進した。 |
夏侯威(カコウイ) |
?-? 字は季権。 魏の将。夏侯淵の次男。司馬懿の推挙により取り立てられ、兄の夏侯覇とともに魏軍の先鋒として北伐の諸葛亮軍と対峙した。 のち公孫淵討伐に従軍し、これを破るのに貢献する。 |
夏侯淵(カコウエン) |
?-219 字は妙才。 魏の将。夏侯惇の従兄弟。曹操の挙兵から行動をともにし、軍の一翼を担った。 急襲を得意とした名将で、馬超を破るなど活躍する。 しかし、定軍山の戦いでは蜀将の挑発に誘い出され、最期は黄忠に斬られた。 |
夏侯恩(カコウオン) |
?-208 曹操の側近。曹操が所有していた二本の名剣「青紅」「倚天」を預かっていた。 長坂坡で趙雲に斬り殺され「青紅」の剣を奪われる。 |
夏侯和(カコウカ) |
?-? 字は義権。 義の将。夏侯淵の四男。弁舌爽やかで兵法に長けていた。 司馬懿の推挙で対蜀戦に従軍し、諸葛亮率いる蜀軍と対峙した。 上方谷では司馬懿に討って出るよう進言し、攻撃を任される。 |
夏侯恵(カコウケイ) |
?-? 字は稚権。 魏の将。夏侯淵の三男。幼少の頃から文才に優れていた。 司馬懿の推挙で、弟の夏侯和とともに行軍司馬として対蜀戦に従軍した。 のち、不意に現れた諸葛亮に驚いて逃げ出す司馬懿を冷静に引留めた。 |
夏侯尚(カコウショウ) |
?-225 字は伯仁。 魏の将。夏侯惇の甥。定軍山の戦いでは捕虜となり、陳式との人質交換で自国に戻った。 のち曹真の配下として呉を三路から攻めたが陸遜の前に敗北した。 |
夏侯徳(カコウトク) |
?-? 魏の将。夏侯惇の甥で、弟に夏侯尚がいる。 天蕩山を守備したが、蜀将・厳顔に火を放たれて、消火作業に気をとられていたところを厳顔によって斬られた。 |
夏侯惇(カコウトン) |
?-220 字は元譲。 魏の将。曹操とは従兄弟。呂布との戦いで矢を左目に受けるが、父母からもらった物だからと、抜いた矢に刺さった目玉を食らったという。 その後も軍を率いて各地を転戦し、曹操の片腕として活躍した。 |
夏侯覇(カコウハ) |
?-262 字は仲権。 魏、のち蜀に仕えた武将。夏侯淵の長男。司馬懿に推挙され、弟ともども対蜀戦に従軍する。 司馬懿が魏の大権を握ると、身の危険を感じて蜀に降った。 その後姜維とともに北伐に赴くが司馬望の待ち伏せに遭い、矢玉を受けて戦死する。 |
夏侯楙(カコウボウ) |
?-? 字は子休(子林とも)。 魏の将。夏侯淵の子。夏侯惇の養子。よい血筋のうえ曹操の娘を妻に迎え、高い地位を得る。 諸葛亮率いる蜀軍の討伐に名乗りを上げるが、実力も経験も及ばず敗北する。のち胡へ逃げたまま帰参しなかった。 |
韓浩(カンコウ) |
?-? 字は元嗣。 魏の将。袁術の配下だったが、夏侯惇に誘われて曹操に仕える。 曹操に屯田制の必要を進言した。演義では長沙太守・韓玄の弟。 |
韓徳(カントク) |
?-? 魏の将。西涼を守る。武器は大斧。蜀の第一次北伐の際、4人の息子を引き連れて夏侯楙の援軍に参上する。 息子たちともども、趙雲に討ち取られた。 |
韓福(カンフク) |
?-200 洛陽の太守。関羽が曹操のもとを去って河北へ向かう途上、関を守って行く手を塞いだ。 門のかげから矢を放ち関羽の左腕を射るが、向かってきた関羽に一刀で斬られ、関を突破される。 |
牛金(ギュウキン) |
?-? 曹仁配下の将。南郡を守って周瑜率いる呉軍と戦う。 籠城を決める曹仁に「城を出て戦わないのは臆病だ」と言って出陣するが、包囲されてしまう。 曹仁に救出されると反撃に転じて呉軍を退けるが、その後の戦いで周瑜の策にはまり敗退。南郡は趙雲に奪われた。 |
姜叙(キョウジュ) |
?-? 魏の将。撫夷将軍。涼州参軍・楊阜の従兄弟。楊阜の要請を受け、韋康の仇である馬超を討つため、 趙昴らとともに兵を挙げた。馬超に敗れ敗走するが、夏侯淵らの援軍によって救われ、反撃に成功。 しかし、激戦の結果、母親を失うことになる。 |
許褚(キョチョ) |
?-? 字は仲康。 魏の将。身の丈八尺以上の大男。典韋と互角に戦った実力を認められ、護衛役として曹操に付き従う。 普段は無口でぼんやりしているが戦場では虎のように勇猛に戦ったことから「虎痴」の異名をとった。 |
孔秀(コウシュウ) |
?-200 魏の将。東嶺関を預かっていた。 曹操のもとを去った関羽が関を通ろうとしたのを、手形がないのを理由に通すまいとし、関羽に一刀で斬り殺されてしまう。 |
崔諒(サイリョウ) |
?-? 魏の将。安定の太守。蜀の第一次北伐の際、諸葛亮の計略にかかって夏侯楙の救援に向かうが待ち伏せに遭い、降伏する。 のち諸葛亮を密殺しようと計画するが露見し、張苞に斬られた。 |
司馬懿(シバイ) |
179?251 字は仲達。 魏の臣。曹操に才能を見出され、重用される。蜀との戦いでは、諸葛亮の挑発に乗らず、守勢に徹して勝利を収めた。 曹氏四代に仕えるが、曹爽との争いに勝ち魏の実権を掌握。晋王朝の土台を築いた策謀家。 |
司馬師(シバシ) |
208?255 字は子元。 魏の将。司馬懿の長男。諸葛亮との戦いなど、各地を転戦。のち、父とともに主君の曹爽を討ち、曹芳を皇帝とする。 その後も、呉・蜀と戦ったが、父の死後は専横が過ぎ、曹芳を廃した。 陣中で顔の瘤が悪化、弟の司馬昭に後を託して死亡。 |
司馬昭(シバショウ) |
211?265 字は子上。 魏の臣。司馬懿の次男。兄の司馬昭とともに権勢を振るう。兄の死後、大将軍の位を継いだ。 蜀を平定したのち、晋王となった。 |
朱霊(シュレイ) |
?-? 字は文博。 魏の将。袁術討伐に向かう劉備に監軍として従うが、監視役を果たせずに帰陣。 正史では、曹操に嫌われていたとある。 |
苟彧(ジュンイク) |
163?212 字は文若。 魏の臣。「王佐の才」があると称された賢士。参謀として曹操の覇業を支えた。 曹操の魏公即位に反対し、憂悶の末に病死した。自殺したとの説もある。 |
荀攸(ジュンユウ) |
157?214 字は公達。 曹操配下の臣。苟彧の甥。軍事面に長じており、戦場では多くの助言を行った。 赤壁の戦いには程昱とともに参謀として従軍した。 |
鍾会(ショウカイ) |
225?264 字は士季。 幼少より非凡な才を見せ、司馬昭に重用される。 鄧艾とともに蜀征伐の指揮をとるが不和となり、鄧艾に出し抜かれ成都を先取りされてしまう。 蜀復興を企む姜維と結んで鄧艾を失脚させると、蜀での独立を図ったが部下に斬られた。 |
蒋済(ショウサイ) |
?-249 字は子通。 魏の将。関羽が荊州で優位に立つと、曹操は許都への侵攻を恐れ遷都を考えるが、司馬懿とともにこれを説得して留めた。 曹操の死後は曹丕を補佐。のち司馬懿の反乱に加担した。才人で、「瞳を見れば人がわかる」との論文を記したという。 |
徐晃(ジョコウ) |
?-227 字は公明。 魏の将。楊奉配下だったが満寵に説得され曹操に帰順する。軍の主軸として各地を転戦した。 智勇に優れた将で、樊城で関羽軍に勝利した際「孫武に匹敵する」と曹操から称えられた。魏の五将軍に数えられる。 |
徐庶(ジョショ) |
?-? 字は元直。 司馬懿の門下。単福の名で劉備の軍師となり、曹仁の陣を破るなど才を見せる。 それを欲した曹操は、徐庶の母の偽手紙で呼び出し、徐庶は劉備に諸葛亮を推挙して許昌に赴く。 しかし、劉備に義理立てし、曹操に献策することはなかった。 |
秦琪(シンキ) |
?-200 夏侯惇の配下。黄河の渡しで関を守った。 劉備のもとに向かう関羽が押し通ろうとするが、手形がないからと断り、関羽に一刀で首を落とされてしまう。 5つ目の関を破った関羽は、船を支度させ黄河を渡った。 |
甄姫(シンキ) |
?-? 傾国の美女。肌は玉のごとく、美貌は花のごとし、と讃えられる。 袁紹の次男・袁煕の妻だったが、曹操が冀州を攻め落とした際に、真っ先に乗り込んだ息子の曹丕が見初めて妻にした。 |
辛眦(シンピ) |
?-? 字は佐治。 魏の臣。辛評の弟。袁氏に仕えて袁譚を補佐し、袁氏滅亡後は曹操配下となる。 五丈原で諸葛亮と対峙中の魏軍に勅詔を届け、出撃にはやる将兵を抑えた。 |
曹叡(ソウエイ) |
205?239 字は元仲。 曹丕と甄姫の子。魏の二代皇帝。曹真、司馬懿らを派遣して、蜀の北伐軍に対抗させた。 蜀と呉が共同で魏に攻め込むと、自らも出陣して孫権を破った。 蜀の諸葛亮が死亡すると変心し、宮殿増築など国力を浪費した末に病で夭折した。 |
曹休(ソウキュウ) |
?-228 字は文烈。 魏の将。曹操の甥。弓の名手で、曹操の没後も曹丕、曹叡と歴任した。 対呉戦で周魴の計略にかかり、大敗を喫する。その心痛から病にかかって死亡した。 |
曹洪(ソウコウ) |
?-232 魏の将。曹操の従兄弟。曹仁とともに、曹操の挙兵に参じた。魏軍の中核として各地を転戦し、活躍する。 曹丕の即位後は、衛将軍、驃騎将軍を歴任した。 |
曹彰(ソウショウ) |
?-223 字は子文。 曹操の三男(母は卞氏)。武勇に優れ、素手で猛獣を倒したというほどの猛将。 「黄鬚児」の異名を持つ。漢中争奪戦で、敵軍に追われる父・曹操を救った。 |
曹真(ソウシン) |
?-232 字は子丹。 魏の将。曹操の甥。曹丕に後事を託される。 大都督として蜀の北伐軍相手に戦うが、諸葛亮の策の前に連敗した。さらに挑発の手紙を受け取り、憤死する。 |
曹仁(ソウジン) |
168?223 字は子考。 魏の将。曹操の従兄弟。豪胆にして武芸百般に通じ弓術、馬術を得意とした。 赤壁の戦いののちは荊州を守備する。樊城で関羽軍に包囲されて窮地に陥るが、堅く守ってこれを凌いだ。 信任厚く、曹丕の代には魏の大司馬まで務めた。 |
曹操(ソウソウ) |
155?220 字は孟徳。 魏の王。「乱世の奸雄」と評される。兵法書を著するなど、文武に通じていた。 黄巾の乱に際し、討伐軍に参加して頭角を現す。 董卓の滅亡後、混乱する中原に着々と地盤を固め、大国・魏の礎を築き上げた。 |
曹丕(ソウヒ) |
187?226 字は子桓。曹操の次男。魏の初代皇帝。文武に優れ、若年より曹操に従って戦う。 袁紹討伐戦では傾国の美女と称えられた甄姫を保護し、曹操の許可を得て妻とした。 曹操の死後、魏の王位を引き継ぐと、献帝から禅譲を受け、帝位を得る。 |
孫礼(ソンレイ) |
?-? 字は徳達。 魏の将。大石山の巻狩りの際に、曹叡の前に踊り出た虎を斬り殺した功がある。 曹真、司馬懿の配下として対蜀戦で活躍した。 |
張郃(チョウコウ) |
?-231 字は儁乂。 魏の将。袁紹配下であったが、郭図の讒言により窮地に陥り、曹操に帰順した。 主に蜀との戦いで活躍し、諸葛亮にも一目置かれる。街亭の戦いでは馬謖を包囲して撃破した。魏の五将軍に数えられる。 |
張遼(チョウリョウ) |
168?224 字は文遠。 魏の将。はじめ呂布配下の将として各地を転戦した。呂布の敗死後、曹操配下となる。 合肥を守備した際、わずか八百の兵で十万の呉軍を撃退し、泣く子も黙ると恐れられた。 魏の五将軍の筆頭に挙げられる。 |
程昱(テイイク) |
141?220 字は仲徳。 曹操配下の謀臣。もとの名は立。日輪を捧げ持つ夢を見たことから名を改めた。 身の丈八尺三寸の偉丈夫。苟彧の推挙で曹操に仕え、軍師として活躍する。 |
程武(テイブ) |
?-? 魏の参謀。曹操を補佐した名参謀・程昱の子。 夏侯楙が蜀の北伐軍を迎撃するよう曹叡に命じられると、敵将・趙雲を包囲する計略を進言するが、失敗した。 |
典韋(テンイ) |
?-197 魏の将。いにしえの豪傑、「悪来」の異名を持つ怪力の巨漢。曹操の護衛としてつねにその傍らにあった。 宛城で張繍の夜襲を受けた際、押し寄せる敵兵の前に立ちはだかり、命を懸けて曹操を逃がした。 |
鄧艾(トウガイ) |
197?264 字は士戴。 魏の将。司馬懿に才能を見いだされ、蜀攻略戦で活躍する。鍾会と組んで蜀を滅ぼすが、のちに対立。 鍾会の讒言によって捕らえられ護送の途中で暗殺された。 |
董衝(トウコウ) |
?-219 魏の将。樊城の曹仁を救出するため、龐徳らとともに出陣し、関羽と戦う。 龐徳の旧主・馬超が蜀軍にいるため、龐徳を先鋒にするのは危険ではと進言するが、曹操に退けられた。 関羽の水攻めで追いつめられ、董超とともに龐徳に降伏を勧めたが、龐徳に討たれる。 |
董超(トウチョウ) |
?-219 魏の将。樊城の曹仁を救出するため、龐徳・董衝・于禁らとともに出陣し、関羽と戦う。 一時は龐徳の奮戦で関羽を窮地に立たせたが、関羽の水攻めで追いつめられた。 董衝とともに龐徳に降伏を勧めたが、龐徳に討たれる。 |
馬遵(バジュン) |
?-? 魏の将。天水太守。諸葛亮が北伐で侵攻した際、配下の姜維の作戦で撃退した。 しかし、諸葛亮が偽の姜維を仕立てて裏切ったように見せたため、本物を疑って蜀に降られてしまう。 のち蜀軍に攻め込まれ、夏侯楙とともに羌へと逃れた。 |
費耀(ヒヨウ) |
?-? 魏の将。蜀の第二次北伐の際、曹真配下として迎撃に従軍した。 蜀の姜維の偽投降の計略を見抜き、曹真に代わって先陣を切る。姜維の罠を防げず、退路を失って自刎した。 |
文聘(ブンペイ) |
?-? 字は仲業。 魏の将。もと劉表配下。長坂橋の戦いや赤壁の戦いなどに参加。 曹操死後も曹丕に仕えた。曹真・張遼らとともに呉を討伐に向かうが、呉の徐盛の奇策にかかって大敗する。 正史では、のちに後将軍となり、新野候に封ぜられたとある。 |
卞喜(ベンキ) |
?-? 黄巾賊。流星鎚の使い手。のち曹操に仕えて、沂水関を守る。 劉備のもとへ赴く関羽を謀殺しようと鎮国寺に兵を伏せて待ち構えた。 しかし、寺の僧侶・普浄が合図したため、見破られて逆に関羽に斬られる。 |
龐徳(ホウトク) |
?-219 字は令明。 魏の将。もと馬超の腹心であったが、馬超が敗れて曹操に降る。 呉軍と共同の荊州挟撃戦では、樊城の救援に向かうよう命を受けた。 曹操の信頼を得るため自ら棺を用意して戦場に赴き、決死の覚悟で関羽の打倒をめざして奮闘する。 |
満寵(マンチョウ) |
?-242 字は伯寧。 魏の臣。楊奉の配下だった徐晃を説得し、曹操の配下に加えた。 樊城が関羽の軍に囲まれた際は、城を死守するよう曹仁に進言。関羽軍の撃退に成功する。 |
楊脩(ヨウシュウ) |
?-? 字は徳祖。 魏の臣。後漢の大尉・楊彪の子。才はあったが曹操に疎まれた。 袁術の甥だからとも、曹植に入れ知恵したからとも言われている。 |
李典(リテン) |
174?209 字は曼成。 曹操配下の武将。旗揚げの頃から曹操に従った歴戦の勇士。 学問好きで、性格は慎重かつ冷静、同僚の暴走を度々抑えた。張遼、楽進とともに合肥を守備する。 |
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