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武将辞典【蜀】
真・三國無双4猛将伝攻略 武将辞典【蜀】を掲載しています。尹賞(インショウ) |
?-? もとは魏の将で、天水郡の主簿。 姜維と親交があり、諸葛亮の第一次北伐の際に姜維が蜀へと降ったため、自らも天水城の門を開いて降る。 この功で、諸葛亮に冀城の県令に任じられた。 |
王平(オウヘイ) |
?-248 字は子均。 蜀の将。もとは魏の将軍だったが、漢中攻防戦の際に徐晃と対立し蜀に降った。南征、北伐で活躍。 街亭には馬謖の副将として参陣し敗勢の中で善戦した。 |
関羽(カンウ) |
162?219 字は雲長。 蜀の将。五虎大将の筆頭に挙げられる。劉備、張飛と義兄弟の契りを結び、蜀の建国に尽力した。 義理堅いうえ武勇に優れ、「兵一万に匹敵する」と評される。長い髭を帝に「美髭公」とほめられ、通称となった。 |
関興(カンコウ) |
?-234 字は安国。 蜀の将。関羽の次男。劉備が呉征伐の軍を起こすと、これに参加し、父の仇を討った。 張飛の子・張苞と義兄弟の契りを結び、ともに北伐戦で活躍した。 |
関索(カンサク) |
?-? 蜀の将。関羽の三男。荊州が陥落した際に負傷して、鮑家荘に逃れて静養する。 南征の際、蜀に戻って先鋒を務め、計略によって孟獲を捕らえた。 |
関平(カンペイ) |
?-219 蜀の将。河北に住む庶民・関定の次男だったが、関羽に才を見込まれ養子となる。 主君・劉備が蜀に入ると、関羽とともに荊州の守備を任される。 のち荊州は魏と呉の挟撃を受け、陥落必至の危機に陥るが、決して関羽の側を離れず、魏呉両軍と激戦を繰り広げた。 |
簡雍(カンヨウ) |
?-? 字は憲和。 蜀の臣。劉備と同郷の出。義勇軍時代から随従して、使者や参謀役として活躍。 入蜀後は昭徳将軍に任ぜられた。豪放な性格だった。 |
魏延(ギエン) |
?-234 字は文長。蜀の将。劉表配下だったがその死後、劉備に降った。 このとき、反骨の相があるとして諸葛亮が反対するも劉備は受け入れ重用した。 のち、五虎大将に次ぐ猛将として活躍。北伐の際には蜀の主力として参戦した。 |
姜維(キョウイ) |
202?264 字は伯約。 蜀の将。魏に属すが、北伐に赴いた諸葛亮に見込まれ計略によって蜀に降った。 諸葛亮に心服した姜維は、後継者として深く信任され兵法を託される。 諸葛亮の亡き後、その遺志を果たすべく北伐を繰り返した。 |
月英(ゲツエイ) |
?-? 諸葛亮の妻。黄承彦の娘。天文から地理・兵法と広く学問に通じ、諸葛亮を陰で支えた。その死後、あとを追うように世を去る。 醜女と言われていたが、諸葛亮はその賢明さを伝え聞いて妻にと求めた。 一説では、世を欺くため醜女を装ったが実は美女だったとも。 |
厳顔(ゲンガン) |
?-? 蜀の将。劉璋配下として巴郡を守備した。張飛と戦い捕らえられるが、張飛の対応に感じ入って帰順する。 のち、漢中攻略戦で黄忠とともに戦って活躍した。 |
高翔(コウショウ) |
?-? 蜀の将。右将軍。諸葛亮の北伐に従軍する。剣閣から ![]() のち諸葛亮の策で、魏軍に木牛・流馬をわざと奪わせた。 |
黄忠(コウチュウ) |
?-222 字は漢升。 蜀の将。弓の名手で、百発百中の腕を誇った。劉表、韓玄に仕え、韓玄の配下として関羽と激闘を演じた。 のち劉備に帰順し、益州や定軍山の戦いで活躍する。劉備の漢中王即位に伴い、五虎大将に任命された。 |
呉蘭(ゴラン) |
?-218 蜀の将。劉璋配下だったが劉備の入蜀後に帰順した。馬超に従って漢中の対魏戦で活躍する。 斜谷の戦いで曹操の子・曹彰と戦って、斬られた。 |
沙摩柯(シャマカ) |
?-? 五谿蛮の王。劉備の呉討伐に協力し、呉の猛将・甘寧を弓で射殺した。 火攻めに遭い敗走していたところへ呉将・周泰の追撃を受け、斬り殺された。 |
周倉(シュウソウ) |
?-219 もと黄巾賊の大将。臥牛山で山賊をしていたところ、崇拝していた関羽と出会い、その片腕となった。 水練にも長じている豪傑。ただし正史には登場しない。 |
蒋琬(ショウエン) |
?-246 字は公琰。 蜀の将。荊州の名士。最初は劉備の書記として仕官し、のち参軍となって諸葛亮を補佐、成都攻略や南蛮征伐に従軍した。 北伐では成都に残って内政に専念し、前線の諸葛亮を助ける。諸葛亮の死後、後事を託され、丞相の位に昇った。 |
諸葛亮(ショカツリョウ) |
181?234 字は孔明。 蜀の丞相。「臥龍」の異名を持つ。三顧の礼に応えて劉備に仕え、水と魚の関係に例えられるほど劉備から信頼された。 外交、内政に非凡な才能を発揮し、蜀の建国に多大な貢献をした。 五度の北伐を敢行するが、志半ばで五丈原に倒れる。 |
星彩(セイサイ) |
?-? 張飛の娘。理性的で才知に富み、父譲りで武勇にも優れる。幼い頃から破天荒な父を見てきたからか、若い割には達観している。 劉備の嫡子・劉禅や、関羽の養子・関平らとともに、蜀の次代を担う若き力として、活躍を期待されている。 |
孫乾(ソンケン) |
?-? 字は公祐。 劉備配下の臣。陶謙が死に際し、補佐役として劉備に推薦した。 参謀役、外交官として、流浪時代の劉備を助けた。劉備入蜀後、糜竺に次ぐ待遇を受けた。 |
趙雲(チョウウン) |
?-229 字は子龍。 蜀の将。袁紹、公孫瓚に仕えるが、劉備の人柄に惚れ込み臣下となる。 豪胆かつ勇猛な士で、長坂の戦いでは百万の大軍を相手に単騎で斬りこみ、劉備の嫡子・阿斗を救い出した。 のち蜀の五虎大将に数えられる。 |
張飛(チョウヒ) |
168?221 字は翼徳。 蜀の将。五虎大将の1人。劉備、関羽と義兄弟の契りを結ぶ。 長坂の戦いでは、単騎で長坂橋に仁王立ちし大喝一声して曹操軍百万の追撃を退けた。 酒が好きでそのために酔って失敗することも少なくなかった。 |
張苞(チョウホウ) |
?-229 蜀の将。張飛の長男。張飛の死ののち、形見の蛇矛を持って参戦し、夷陵の戦いで初陣を飾った。 義兄弟の関興とともに、関羽、張飛亡き後の蜀を盛り立てた。 |
張翼(チョウヨク) |
?-264 字は伯恭。 蜀の将。劉璋配下だったが劉備に降伏。南征、北伐では一軍を率いて活躍する。 車騎将軍・夏侯覇の死後、位を廖化と分け与えられて左車騎将軍となった。 |
陳式(チンショク) |
?-? 蜀の将。定軍山で捕虜となるが、夏侯尚と交換で陣へ戻る。 第三次北伐で魏軍の追撃に失敗し、敗戦の責任を問われて斬首となった。 「三国志」の著者・陳寿の父と言われている。 |
馬謖(バショク) |
190?228 字は幼常。 蜀の将。馬良の弟。諸葛亮に才能を買われるが、劉備には「大事を任せられぬ」と評される。 南征で参謀役として活躍したが、北伐で命令に背いて大敗を招き、諸葛亮に処刑された。 |
馬岱(バタイ) |
?-? 蜀の将。従兄弟である馬超とともに劉備に帰順する。南征や北伐で、軍を率いて活躍した。 諸葛亮の死後、造反した魏延を始末した。のち平北将軍を任される。 |
馬忠(バチュウ) |
?-249 字は徳信。 諸葛亮の南征に従軍する。祝融に捕らえられ捕虜となるが、のちに趙雲らに生け捕らえらた祝融との捕虜交換により帰陣。 北伐にも従い数々の功を上げる。第四次北伐では木門道に張郃をおびき出し、木や石を落として退路を断ち討ち取った。 |
馬超(バチョウ) |
176?222 字は孟起。 馬騰の長男。その武者振りの見事さから「錦馬超」の異名を持つ。 父の仇・曹操を討つべく西涼の兵を率いて長安を襲うが、敗れる。のち劉備に帰順。 漢中攻略などで功を挙げ、五虎大将の1人に数えられた。 |
馬良(バリョウ) |
?-? 字は季常。蜀の臣。「白眉」の異名を持つ俊才。弟の馬謖とともに劉備に仕える。 荊州を預かる関羽のもとで、内政を補佐。夷陵の戦いでは、陣の図面を諸葛亮に届けた。 |
費禕(ヒイ) |
?-253 字は文偉。 蜀の侍中。もと劉璋の配下。諸葛亮が北伐に出る間は、成都に残って内政を支えた。 諸葛亮臨終の際に、「自分の後継を蒋琬に、その後は費禕に」と指名される。 引き続き成都を守った。正史では、後年、魏からの降将に宴席で斬られたとある。 |
糜竺(ビジク) |
?-? 字は子仲。 劉備配下の臣。もとは徐州の豪商。陶謙配下だったがその死後は劉備の補佐役となり、苦楽をともにする。 劉備入蜀後は、諸葛亮より上位の安漢将軍となった。 |
糜芳(ビホウ) |
?-? 字は子方。 劉備配下の将。糜竺の弟。関羽の配下として荊州南郡を守る。 だが同僚の傅士仁に説得され、関羽を裏切り呉へ降る。のち蜀へ戻るが許されず、処刑された。 |
傅士仁(フシジン) |
?-222 字は君義。 関羽配下の将。樊城攻めの先鋒を務めるはずが、失火して罰せられ、公安の守備に回される。 そこで呉軍の侵攻を受けて降伏し、糜芳にも投降を説いた。 夷陵の戦いの際、蜀に帰参しようとするが、劉備に関羽の死の責任を問われ処刑した。 |
法正(ホウセイ) |
176?220 字は考直。 蜀の臣。もとは劉璋配下。張松らと劉備入蜀を画策。謀略に長け、漢中攻略戦では参謀役を務めた。 法正が生きていれば夷陵の敗戦はなかったと言われている。 |
龐統(ホウトウ) |
179?213 字は士元。 劉備配下の謀臣。諸葛亮とは同門の出で、臥龍・鳳雛と並び称された天才軍師。 赤壁の戦いで「連環の計」を遂行して、連合軍の勝利に一役買った。 劉備配下となると、蜀攻略を進言して自ら指揮を執った。 |
孟達(モウタツ) |
?-228 字は子度。 劉璋、劉備、曹丕と主君を替えた武将。劉備の入蜀に貢献するが、関羽を見殺しにして魏に降伏する。 曹丕の死後、蜀に戻ろうとするが、司馬懿に倒された。 |
楊儀(ヨウギ) |
?-235 字は威公。 蜀の長史(丞相の補佐役)。諸葛亮に従って北伐に参加。 諸葛亮死後は、遺計を受け、魏延と対立しながらも無事に蜀軍を撤退させた。 蒋琬らが蜀の重職に任じられると、人事に不満を抱き抗議。その罪で庶民に落とされ、恥じて自殺した。 |
雷銅(ライドウ) |
?-? 蜀の将。呉懿、呉蘭とともに劉備軍を防いだが、包囲されて投降した。 巴西の守備について、魏将・張郃を相手に善戦するが、伏兵に退路を断たれて敗死した。 |
李厳(リゲン) |
?-234 字は正方。 蜀の将。劉璋配下だったが劉備の入蜀時に帰順した。 諸葛亮から「陸遜にひけをとらぬ」という高い評価を得るが、北伐で補給に失敗したために失脚した。 |
劉禅(リュウゼン) |
207?271 字は公嗣。幼名は阿斗。劉備の子で蜀の二代皇帝。長坂の戦いでは敵中に取り残され趙雲に救出される。 劉備は諸葛亮に「劉禅に才がなければ代わって帝位につくように」と言い残すが諸葛亮は劉禅を補佐し続けた。 魏軍が成都に迫ると即座に降伏、蜀は滅亡する。 |
劉備(リュウビ) |
161?223 字は玄徳。 蜀の初代皇帝。前漢の中山靖王・劉勝の末裔と称す。義兄弟の関羽・張飛とともに黄巾賊討伐に参陣。 各地を転戦し、ついに蜀の地を得て、三国鼎立を成した。漢王朝の再興という大義のもと、天下統一をめざす。 |
劉辟(リュウヘキ) |
?-201 黄巾賊の将。黄巾の乱後も汝南で賊軍を率いる。 曹操と対抗するにあたり劉備を汝南に迎え、配下となって守備を任された。 のち曹操が攻め寄せ、夏侯惇軍の前に敗走し、高覧から劉備を守ろうとして戦死する。 |
劉封(リュウホウ) |
?-220 劉備の養子。上庸の守備に就いていたが、関羽からの援軍要請を受けなかった。 そのため関羽親子は戦死し、激怒した劉備に成都で処刑された。 |
廖化(リョウカ) |
?-264 字は元倹。 蜀の将。もと黄巾賊。千里行中の関羽に仕官を断られるが、のち劉備に仕え各地を転戦する。 蜀の成立から滅亡までを生き抜いた。 |
梁緒(リョウショ) |
?-? 天水太守・馬遵の下で功曹を務めた。 諸葛亮が北伐で天水を攻めたとき、友人の姜維が蜀に降ったことから内応を疑われ、処分される前にと城門を開いて蜀軍を迎えた。 のち、諸葛亮から天水太守に任じられる。 |
呂凱(リョガイ) |
?-226 字は季平。蜀の臣。永昌郡の功曹。南蛮王・孟獲らの反乱から城を守った。 諸葛亮が南征のために訪れると南蛮攻略の図を差し出し、案内役を命じられる。 南蛮の平定に貢献したのち、南方4郡の守備を任された。 |
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