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武将辞典【他】
真・三國無双5攻略 武将辞典【他】を掲載しています。尹礼(インレイ) |
?-? 泰山の山賊。呂布が曹操と戦う際、陳宮に命じて呼び寄せた。 曹操の呂布討伐軍を途上で遮ろうとするが、許褚の奮闘の前に敗れる。 その後、呂布が死ぬと臧覇に説得されて曹操に帰順した。 |
于糜(ウビ) |
?-219 揚州刺史・劉繇配下の将。攻め寄せた孫策と戦うが、三合もせずに生け捕らえられてしまう。 帰陣する孫策の脇に抱えられたまま怪力によって絞め殺された。正史によれば「于麋」が正しい。 |
袁胤(エンイン) |
?-199 袁術の甥。袁術が死ぬと、その柩と妻子を守り、劉勲を頼ろうと盧江へ逃れたが、途中で曹操配下の将に捕まって皆殺しにされる。 その際は奪われた玉璽は、曹操の手へと渡った。正史では袁術の従弟となっている。 |
袁煕(エンキ) |
?-207 字は顕奕。 袁紹の次男。幽州の刺史。曹操に敗れ、逃れてきた弟・袁尚を保護する。 曹操が幽州に侵攻すると部下に背かれ、袁尚とともに遼西の烏丸を頼って逃亡。 曹操が烏丸を攻めると遼東の公孫康を頼るが、公孫康のだまし討ちに遭い、袁尚ともども斬られて首を曹操に送られた。 |
袁術(エンジュツ) |
?-199 字は公路。 後漢の後将軍。袁紹の従弟。異母弟とも。四世三公の名門で、何進が暗殺されると袁紹とともに宦官を虐殺した。 董卓が台頭すると南陽に逃れ、反董卓連合に参加。その後、淮南に移り、孫策から預かった玉璽をもって皇帝を自称。 悪性で民心を失い袁紹を頼り北上する途上、配下にも見限られ吐血して死んだ。 |
袁尚(エンショウ) |
?-207 字は顕甫。 袁紹の三男。容姿に優れていたことから袁紹に寵愛を受けた。父が死ぬと審配、逢紀らに擁立されて後継者を称する。 長兄の袁譚と対立し、袁譚が曹操と結ぶと、次兄の袁煕を頼って幽州に逃走。 曹操が北上すると遼西の烏丸、遼東の公孫康を頼るが公孫康に討たれ、首を曹操に送られた。 |
袁紹(エンショウ) |
?-202 字は本初。 袁術の従兄。兄とも。四世三公の名門・袁家の出身。曹操の呼びかけに応じて反董卓連合軍の盟主となる。 連合軍解散後は、韓馥から冀州を奪い、公孫瓚を倒して河北を支配。最大勢力となるが、官渡の戦いで、曹操に大敗を喫した。 |
閻象(エンショウ) |
?-? 袁術の主簿。玉璽を手に入れた袁術が帝位に就こうとしたとき周の文王が天下の三分の二を有しながら殷に臣従した故事を出して諌めた。 しかし袁術は「漢に代わる者は当塗高ならん(当塗は袁術の字である公路に通じる)」という予言を信じ、取り合わなかった。 |
袁譚(エンタン) |
?-205 字は顕思。 袁紹の長男。青州刺史。袁紹が死ぬと弟たちとともに曹操と戦うが、後継の座を巡って袁尚と対立。 曹操の援助を得て袁尚に勝ったものの、袁尚の旧領を勝手に奪ったため曹操の怒りを買い、南皮を攻められる。 降伏を願い出るが拒まれ、出撃したところを曹洪に討たれた。 |
袁燿(エンヨウ) |
?-199 袁術の子。袁術が皇帝を僭称すると皇太子に立てられた。袁術死後は盧江太守の劉勲を頼る。 孫策が盧江を攻め取るとその庇護を受けた。その後、袁術の娘が孫権の後宮に入ると、郎中に任ぜられた。 後漢書袁術伝では「袁曜」とする。 |
王允(オウイン) |
137?192 字は子師。 後漢の司徒。一日千里、王佐の才とうたわれた名士。董卓が実権を握った後、董卓暗殺を志願した曹操に七星宝刀を与える。 董卓の悪政が極まると貂蝉を用いた美女連環の計を画策。呂布を董卓と仲違いさせ、董卓の誅殺に成功する。 しかし、董卓残党の李傕らに長安を攻め落とされ、族滅された。 |
王楷(オウカイ) |
?-? 呂布の参謀。呂布が下邳で曹操に包囲されたとき、許汜とともに救援依頼の使者として袁術のもとへ派遣された。 正史では、兗州牧・曹操の配下の従事中郎だったが、陳宮とともに曹操に背いて呂布に仕えている。 |
王脩(オウシュウ) |
?-? 字は叔治。 袁紹配下の臣。袁紹死後、袁尚の暗殺を謀る袁譚を諌めて職を解かれる。 袁譚が曹操に討たれると、禁令を破って袁譚に弔意を示し、曹操から司金中郎将に任ぜられた。 |
区星(オウセイ) |
?-187 賊軍の首領。長沙で反乱を起こし、呉の孫堅に討たれる。 一時的に大きな勢力を誇ったものの瞬く間に孫堅に鎮圧された。 |
王方(オウホウ) |
?-? 董卓配下の将。董卓死後、長安に押し寄せてきた賊に内応して、城門を開いた。 のち、賊を討つべく攻め上ってきた馬超を迎え撃ち、一騎打ちして敗れる。 |
於夫羅(オフラ) |
?-? 南匈奴の単于。左賢王・劉豹の父。 南匈奴で内乱が起こり父・羌渠が殺されると、漢に居残り黄巾の乱に乗じて白波賊と合流し、各地を荒らし回る。 のちに長安から脱出した献帝の護衛に付き、反董卓連合結成時は袁紹に属す。 のち袁術と曹操の戦いでは、黒山賊とともに袁術を助けたが、曹操軍に大敗した。 |
何儀(カギ) |
?-194 黄巾賊。黄巾の乱後、残党を率いて汝南を占拠していた。 当時義勇軍を組織していた許褚に捕まり、曹操の手によって処刑された。 正史では、軍勢とともに曹操に降伏したとあり、処刑されたという記述はない。 |
賈詡(カク) |
147?223 字は文和。 董卓、李傕と仕えたのち、張繍の参謀となる。的確な献策で曹操軍を幾度となく破った。 その後、張繍ともども曹操に帰順し、魏軍の策士として重用された。 |
郭汜(カクシ) |
?-197 董卓配下の将。董卓死後、賈詡の進言で長安を急襲。 王允らを殺し、李傕とともに朝廷を牛耳った。のち、山賊となり、部下の伍習に殺された。 |
楽就(ガクシュウ) |
?-197 袁術配下の将。袁術が徐州攻めのために七軍を興した際、督戦官として連絡役を務めた。 しかし、袁術軍は敗れ、寿春で曹操軍に捕らえられて殺された。 |
郭図(カクト) |
?-205 字は公則。 袁紹配下の臣。官渡の戦いで烏巣を襲撃された際に、曹操本陣を攻めるよう進言して敗北を招いた。 その罪を張郃らに着せたために、彼らは曹操軍に降る。 袁紹の死後は、その長子・袁譚の参謀役となるが、袁譚ともども曹操軍に討たれた。 |
郝萌(カクホウ) |
?-198 呂布配下の将。濮陽の戦いで、曹操を濮陽城内に誘い込むが取り逃す。 下邳の戦いで呂布が包囲されたとき、袁術に援軍を求める使者に立った許汜、王楷の護衛となる。 往路は曹操軍の突破に成功するが、復路で張飛に捕らえられ、曹操に斬られた。 正史では、袁術に通じ、呂布に反旗を翻すが、曹性に片腕を斬られ、高順に討たれた。 |
何進(カシン) |
?-189 字は遂高。 妹が帝の皇后となったため外戚として出世。大将軍の位に就く。 宦官・十常侍の一掃を謀るが露見し、逆に謀殺された。 |
華雄(カユウ) |
?-191 董卓配下の猛将・董卓軍の先鋒を務めた。汜水関では孫堅を破り、勢いに乗って攻め寄せるが、関羽に討ち取られた。 正史では、孫堅に敗れ、斬られている。 |
韓胤(カンイン) |
?-197 袁術の幕僚。袁術の子と呂布の娘の縁談をまとめる使者として呂布を訪ねた。 袁術との同盟を推進する陳宮と意気投合するが劉備や曹操と結ぶ陳珪、陳登父子に妨害され、呂布に捕らえられる。 再び派遣された袁術の使者が呂布に斬られると、首かせをつけたまま許昌に護送され、曹操によって処刑された。 |
管亥(カンガイ) |
?-194 黄巾賊の将。黄巾の乱後、残党数万で北海郡を襲う。 救援に駆けつけた劉備軍と合戦し、関羽と一騎打ちとなった。数十合に及ぶ力闘を演じるが戦死した。 |
韓遂(カンスイ) |
172?215 字は文約。 涼州軍閥の首領の1人。義兄弟の馬騰が曹操に討たれたため、その子・馬超とともに復讐の兵を挙げる。 しかし、離間の策にかかり、馬超と決裂。曹操に降伏しようとして、怒った馬超に左腕を斬られた。 |
韓暹(カンセン) |
?-197 もと白波賊の首領。後漢の献帝を董卓の残党から守り、征東将軍に任ぜられた。 曹操と争って献帝の身柄を奪われ、袁術を頼り落ち延びる。 その後、袁術の命を受けて呂布軍との戦闘中、呂布側に寝返って配下となる。最後は関羽、張飛に討たれた。 |
韓忠(カンチュウ) |
?-184 黄巾賊の将。孫仲、趙弘とともに宛城を占拠する。朱儁、劉備ら黄巾討伐軍と戦うが流れ矢に当たり戦死した。 後漢書によると、趙弘が朱儁に斬られたのち韓忠が宛城黄巾軍の首領になった。 降伏を拒否され、出撃したところを朱儁に大破され投降。南陽太守・秦頡に殺された。 |
韓猛(カンモウ) |
?-? 袁紹配下の将。官渡の戦いの折陣地に兵糧を輸送するが、徐晃らに襲われて兵糧を焼き払われた。 帰陣後、怒った袁紹により雑兵に格下げされてしまう。 |
顔良(ガンリョウ) |
?-200 袁紹配下の猛将。白馬の戦いで先鋒となり、宋憲、魏続を討ち取った。 続いて勇将・徐晃をも敗走させたが、当時曹操の幕下にいた関羽に一合で斬られた。 |
魏続(ギゾク) |
?-200 呂布配下の将。候成、宋憲とともに呂布を裏切って曹操に降った。 白馬の戦いでは顔良相手に一騎打ちを挑むが、ただ一合で斬られた。 |
牛輔(ギュウホ) |
?-192 董卓配下の将。董卓の娘婿で、董卓が殺害されると、その仇を討つため長安に向かった。 しかし、呂布には敵わないと見て逃げだし、途中で側近に殺された。 |
橋蕤(キョウズイ) |
?-197 袁術配下の将。袁術の呂布討伐戦では第2軍の上将となるが、楊奉と韓暹が呂布軍に寝返り、敗れる。 その直後に寿春へ攻め寄せた曹操軍を県境で迎撃するが、夏侯惇に討たれた。 正史では、袁術から大将軍に任ぜられており、于禁に斬られた。同僚の張勲らとともに孫策を心から尊敬していたという。 |
許貢(キョコウ) |
?-? 後漢の呉郡太守。曹操に「孫策に注意せよ」との密書を送ろうとするが、孫策に露見して殺された。 のちに許貢の食客3人が丹徒の西山で狩猟中の孫策を襲撃して重傷を負わせた。 |
許汜(キョシ) |
?-? 呂布の参謀。198年、呂布が下邳で曹操に包囲されたとき、許汜とともに救援依頼の使者として袁術のもとへ派遣された。 正史では、兗州牧・曹操の配下の従事中郎だったが、陳宮らとともに曹操に背き、呂布に仕えている。 |
許攸(キョユウ) |
?-204 字は子遠。 袁紹配下の謀臣。曹操とも親交があった。官渡の戦いで曹操軍の兵糧欠乏を知り、袁紹に速攻を促す。 しかし、政敵の審配から一族の不正を中傷され、袁紹の怒りを買い曹操に投降。 袁紹軍の兵糧基地がある烏巣の情報を教えて急襲させ、曹操の勝利に貢献した。 鄴攻略後、功を誇り、怒った許褚に斬られた。 |
紀霊(キレイ) |
?-199 袁術配下の将。三尖刀の使い手で、劉備軍に攻め込まれた際、関羽と三十合打ち合い引き分けた。 袁術の命令で劉備を攻めた折は、呂布の仲裁で兵を退く。 のち袁術は衰退して袁紹を頼るが、劉備に待ち伏せされ、張飛と戦って敗れた。 |
厳政(ゲンセイ) |
?-? 黄巾賊。張宝配下の武将。朱儁ら官軍と劉備軍の攻勢を受け、陽城県の城に立て籠る。 落城必至と見切りをつけると、張宝を刺し殺し官軍に投降した。 |
厳白虎(ゲンハクコ) |
?-? 呉郡の賊。「東呉の徳王」を自称する。孫策に討たれて会稽の王朝を頼るが、再び孫策の前に敗走。 落ち延びた先で董襲に殺され、首級を孫策に献上された。 |
厳輿(ゲンヨ) |
?-? 厳白虎の弟。厳白虎が孫策の討伐を受けたとき、和睦の使者となる。 交渉の席で江東の折半を提案するが、孫策に斬られた。 |
高幹(コウカン) |
?-206 字は元才。袁紹の甥。并州の刺史。官渡で敗北した袁紹を救うために出撃するが、敗れて并州に戻る。 のち壺関にて曹操軍を食い止め、李典、楽進ら名将相手に善戦するが敗れた。 匈奴を頼ったが断られ、劉表を頼って荊州へ行く途上で殺される。 |
高順(コウジュン) |
?-198 呂布配下の将。呂布に従って各地を転戦した猛将で、「陥陣営」の異名を持つ。 呂布の敗北後、曹操の前に引き立てられるが、言い訳もせず潔く斬られた。 |
黄邵(コウショウ) |
?-194 黄巾軍の残党。汝南や潁川で略奪をしていたが、兵糧を調達するために攻め寄せた曹操の軍勢と戦い、李典に捕らえられて殺された。 |
高昇(コウショウ) |
?-? 黄巾賊。張宝の副将。曲陽の戦いに出陣する。 官軍の先鋒をしていた劉備は張飛を出陣させ、高昇は数合で突き落とされた。 |
候成(コウセイ) |
?-212 呂布配下の将。下邳で籠城していたとき、呂布に酒を贈るが、禁酒令を破ったとして棒罰を食らわされる。 この仕打ちを恨んだ候成は魏続、宋憲とともに寝返りを決意し、赤兎馬を盗んで曹操軍に投降した。 |
黄祖(コウソ) |
?-208 劉表配下の将。江夏を守備するが孫堅軍に大敗した。 配下の甘寧を賊出身だからと冷遇し、呉に去られてしまう。のち呉の将となった甘寧に斬られた。 |
公孫越(コウソンエツ) |
?-? 公孫瓚の弟。袁紹に併呑された冀州の領地割譲を申し入れるため、兄の使者となって袁紹のもとを訪れる。 帰途、袁紹配下の待ち伏せに遭い、討たれた。 |
公孫瓚(コウソンサン) |
?-199 字は伯珪。 後漢の北平太守。劉備とともに盧植に学んだ。 白馬義従と呼ばれる精鋭部隊を率いて羌族を討伐し、「白馬将軍」の異名を取る。 黄巾賊討伐に活躍するが、のち袁紹に敗れた。 |
高沛(コウハイ) |
?-212 劉璋配下の将。楊懐とともに涪水関を守備する。 劉備の暗殺を計画するが、軍師の龐統に察知され、劉封・関平らに取り押さえられて処刑された。 |
皇甫嵩(コウホスウ) |
?-195 字は義真。 後漢の臣。黄巾の乱では、張梁、張宝の軍を火攻めで破り、張角の墓を暴いて遺骸から首を挙げた。 のち宦官への賄賂を拒んだために罷免され、隠棲していたが、董卓死後朝廷に復帰する。 |
孔融(コウユウ) |
153?208 字は文拳。 後漢の北海太守。孔子二十代目の子孫で「建安七子」の1人。反董卓連合に参加した。 その後黄巾残党の管亥らに北海で包囲されるが、太史慈の活躍で難を逃れる。 曹操に攻められた陶謙の救援要請を受け、劉備とともに駆けつけた。 曹操の献帝擁立後、許都に戻るが曹操の劉備討伐に不満を漏らし処刑された。 |
高覧(コウラン) |
?-201 袁紹配下の将。官渡の戦いでは曹操軍の猛将・許褚を相手に戦う。 のちに同僚の張郃とともに曹操に帰順。汝南の劉備軍を攻め、劉辟を斬った。 |
胡車児(コシャジ) |
?-? 張繍配下の勇士。異民族の出身で張繍軍随一の豪傑。 宛城で曹操を奇襲する際、護衛の典韋の戟を盗むよう進言し、自ら実行して襲撃を成功に導いた。 |
胡軫(コシン) |
?-? 董卓配下の将。汜水関にて袁紹の率いる反董卓連合軍を迎え撃った。 華雄の副将を務め、五千の兵を率いて戦うが、孫堅配下の程普によって討ち取られた。 |
蔡瑁(サイボウ) |
?-208 字は徳珪。 劉表配下の将。荊州の豪族の出。劉表の後妻・蔡夫人の弟。 劉琮を後継者にするため、邪魔な劉備の暗殺を企てるが失敗に終わる。水軍の指揮に秀でた。 |
周昕(シュウキン) |
?-196 字は大明。 会稽太守・王朗配下の将。孫策軍の太史慈と戦う王朗に加勢するが、背後を突かれ城内に逃げ込む。 客将・厳白虎と追撃に出るが、罠にかかって斬られた。 |
朱儁(シュシュン) |
?-195 字は公偉。 後漢の将。黄巾の乱に際して、劉備、孫堅とともに黄巾賊を討伐する。この功績で車騎将軍に任ぜられた。 董卓の死後、李傕、郭汜とともに朝政にあたる。 |
淳于瓊(ジュンウケイ) |
?-200 袁紹配下の将。袁紹や曹操と同じくもと西園八校尉の1人。 官渡の戦いで兵糧庫の烏巣を守るが酒に溺れて曹操の焼き討ちを受け、怒った袁紹に殺された。 |
荀諶(ジュンシン) |
?-? 冀州牧・韓馥配下の謀臣。辛評とともに袁紹を頼るようにに献策した。のちに袁紹配下となる。 官渡の戦いでは、田豊、許攸らと参謀として従軍した。正史では苟彧の弟とある。 |
徐栄(ジョエイ) |
?-191 董卓配下の将。長安へ遷都の途中、伏兵となって曹操軍を襲撃し、敗走する曹操の肩を射当てた。 しかし、救援に現れた夏侯惇の手にかかって倒される。 |
審配(シンパイ) |
?-204 字は正南。 袁紹配下の臣。参謀として袁紹を支えるが、苟彧からは「我意が強く策がない」と評された。 袁紹の死後は袁尚を擁立する。のち徐晃に捕らわれるが、降伏せず袁家に忠を尽くし、主君のいる北を向き処刑された。 |
辛評(シンピョウ) |
?-205 字は仲治。 韓馥配下の臣。韓馥が逃亡してからは袁紹に仕え、のち袁譚を補佐して活躍した。 使者として曹操に会った際に配下となるように誘われるが、固辞して帰る。 しかし袁譚に二心を疑われ、心痛のあまり亡くなった。 |
薛礼(セツレイ) |
?-195 揚州刺史・劉繇の配下。孫策が父の旧領を取り戻そうと劉繇を攻めたとき、張英、陳横とともに秣陵を守っていた。 しかし、孫策の計にかかって誘き出され、伏兵に遭って戦死した。 |
宋憲(ソウケン) |
?-200 呂布配下の将。同僚の候成がささいな事から棒罰を受けたのを見て、候成、魏続とともに曹操に投降した。 のちに袁紹軍との戦いで、猛将・顔良に斬られた。 |
曹性(ソウセイ) |
?-198 呂布配下の将。濮陽で曹操を追い詰めるが、典韋に阻まれて取り逃がす。 のちに夏侯惇に追われる高順を逃がすため、陣中より矢を放ち、夏侯惇の左目を射抜く。 しかし、逆上した夏侯惇に額を一突きにされた。 |
臧覇(ゾウハ) |
?-? 字は宣高。 呂布の配下。呂布軍の大将として、各地を転戦する。 曹操との戦いでは、山賊と結んで兗州攻略に臨んだ。呂布滅亡後、曹操に降伏し山賊たちも帰順させた。 |
曹豹(ソウヒョウ) |
?-196 陶謙配下の将。曹操が陶謙を攻めた際、曹操軍の先鋒・夏侯惇を迎撃する。陶謙の死後は劉備に仕えた。また、娘は呂布の妻となった。 劉備が袁術を攻める際、張飛とともに下邳の守備を命じられるが、張飛に酒を強要され、断ったため鞭打ちの刑を受ける。 その夜のうちに呂布を下邳に招き入れて張飛を討とうとするが、返り討ちに遭った。 |
沮授(ソジュ) |
?-200 袁紹配下の臣。曹操討伐をたびたび諌めるが聞き入れられず、投獄される。 袁紹が敗れたのち、曹操に投降を勧められるが拒み、脱走しようとして殺された。 |
蘇飛(ソヒ) |
?-? 黄祖配下の将。江夏の都督で、黄祖に甘寧を取り立てるように勧めた。 だが、甘寧は海賊の出身だからと用いなかったので、他国へ移れるよう取り計らう。 その後、甘寧は孫権に降り、孫権軍に捕らえられた蘇飛は甘寧に命を救われた。 |
孫仲(ソンチュウ) |
?-184 黄巾賊の将。韓忠、趙弘とともに宛城を占拠する。張角が病死した後も、趙弘、韓忠らと宛城に籠もって抵抗を続ける。 朱儁と劉備が率いる討伐軍が来襲すると、突破して逃げようとするが劉備が放った矢に当たり戦死した。 正史に登場する宛城黄巾軍の最後の首領・孫夏がモデルになっていると思われる。 |
張英(チョウエイ) |
?-196 揚州刺史・劉繇配下の将。孫策に攻められた際、一隊で牛渚の地を守ってみせると豪語するが敗れる。 のち秣陵で孫策配下の将・陳武に突き殺された。 正史では、当利口に駐屯し、袁術の勢力拡大を防ぐため、樊能とともに呉景、孫賁らと戦う。 孫策軍に敗れた後の消息は不明。 |
張燕(チョウエン) |
?-? もと黒山賊の将。元の名は褚燕で、張牛角の後を継いで黒山賊の首領となり、張燕と改名。 強くて敏捷だったことから「張飛燕」と呼ばれた。 曹操が冀州を平定すると十万の兵を率いて帰順し、平北将軍に任じられた。 |
張横(チョウオウ) |
?-211 韓遂配下の八部将の1人。曹操に復讐しようとする馬超に加勢し、長安を陥落させた。 馬超が魏の賈詡の離間の計にかかって韓遂と同士討ちを始めると曹操に攻め込まれ、乱闘の中で戦死する。 |
張角(チョウカク) |
?-184 鉅鹿郡の在野の士。太平道の教祖として民衆に教えを広める。世の乱れに乗じて広く民衆の支持を集めた。 黄巾党を結成して漢王室に敵対、「天公将軍」を自称し、黄巾の乱を起こした。 |
張勲(チョウクン) |
?-? 袁術配下の将。都督。袁術が皇帝を自称すると大将軍に任ぜられた。 総勢二十万の兵士を率いて徐州に呂布軍と戦うが、呂布配下の陳珪の策略で韓暹と楊奉が寝返ったため、大敗を喫し逃げ戻った。 正史によると、孫策を心から尊敬しており、袁術の死後、孫策を頼ろうとしたが、盧江太守の劉勲に捕らえられたという。 |
趙弘(チョウコウ) |
?-184 黄巾賊の将。韓忠、孫仲とともに兵を率いて宛城を支配する。 朱儁率いる官軍相手に戦うが、官軍の加勢に来た孫堅に馬から突き落とされ、戦死した。 正史によると、宛城黄巾軍の首領は張曼成、趙弘、韓忠、孫夏の順に移り変わっている。 |
張済(チョウサイ) |
?-196 董卓配下の将。車騎将軍。張繍の叔父。傾国の美女・鄒氏を妻とした。 兵糧不足のために劉表を攻めるが、流れ矢に当たり戦死した。 |
張任(チョウジン) |
?-214 劉璋配下の将。落鳳坡で、劉備の軍師・龐統を射殺した。 敗北して捕らわれたが「忠臣に二君に仕えず」として、劉備の説得に応じず潔く斬首された。 |
貂蝉(チョウセン) |
176?? 舞姫。絶世の美女で、歌舞に優れていた。司徒・王允のもとで実の娘同然に育てられる。 董卓の専横を憂う王允のため、董卓と呂布に近づいて、「連環の計」を仕掛け、見事に二人の仲を裂くことに成功する。 |
張宝(チョウホウ) |
?-184 張角の弟。張角とともに漢王室に対し挙兵、黄巾の乱を起こす。 「地公将軍」を自称し、兄より授かった妖術で反乱を指揮するが部下の厳政に刺し殺された。 |
張曼成(チョウマンセイ) |
?-184 黄巾賊の将。黄巾の乱では「神上使」を自称し、数万の兵を率いて南陽で挙兵。 太守の褚貢を殺して宛を占拠するが、最後は後任の太守・秦頡に討たれた。 |
張梁(チョウリョウ) |
?-184 張角、張宝の弟。兄とともに漢王室に対して挙兵し、黄巾の乱を起こす。 「人公将軍」を自称し、張角死後も反乱を指導するが、官軍に敗れて戦死した。 |
張魯(チョウロ) |
?-? 字は公祺。 五斗米道の教祖。漢中一帯に大勢力を築く。 曹操軍に攻め込まれたとき、倉は国家のものだからと焼かずに封印させて去った。 これを評価した曹操は、降伏した張魯を鎮南将軍に任じた。 |
陳横(チンオウ) |
?-195 揚州刺史・劉繇配下の将。薛礼、張英とともに秣陵を守備する。 打って出たのを伏兵に攻められ、孫策配下の将・蒋欽に射殺された。 |
陳紀(チンキ) |
?-197 袁術配下の将。呂布の討伐に参加するが、失敗する。 その後、曹操に攻め込まれ寿春城内に籠って戦うが、敗れて捕らえられ殺された。 |
陳宮(チンキュウ) |
?-198 字は公台。 後漢の中牟県令。董卓暗殺に失敗した曹操と同行するも、その非情な一面を見て決別する。 のち呂布の謀臣として曹操と戦うが、敗北して呂布ともども捕まり、自ら望んで処刑された。 |
陳珪(チンケイ) |
?-? 字は漢瑜。 後漢の済北の相。徐州の名士。陳登の父。陶謙に仕え、曹操が来襲した際に救援に来た劉備に心服。 以後、徐州牧となる劉備を支援した。徐州が呂布に奪われた後は、曹操に内通して呂布打倒を画策する。 陳登とともに呂布を翻弄し、劉備、曹操の勝利に貢献した。 |
陳登(チントウ) |
?-? 字は元龍。 徐州の名士。陳珪の子。陶謙とその後を継いだ劉備に仕える。 呂布が下邳を奪った後は陳珪とともに呂布に仕えながら、呂布を陥れて劉備を復権させるための策謀を巡らせる。 のちに劉備に協力して徐州を攻め、徐州刺史・車冑を討つが、劉備が曹操に敗れて袁紹を頼ると、徐州を曹操に献じた。 |
陳蘭(チンラン) |
?-? 袁術配下の将。徐州攻めに副将として参加し、劉備や呂布の軍と戦った。 しかし皇帝を僭称した袁術の贅沢ぶりに見切りをつけ、雷薄とともに山賊になる。 のち劉備に敗れて逃走する袁術軍を襲い金品を強奪した。 |
陳琳(チンリン) |
?-217 字は孔璋。 後漢の官僚。建安七子の1人。宦官討伐のため、何進が群雄に上洛を命じるのをいさめるが、聞き入れられなかった。 董卓が政権を握ると冀州に逃れ、袁紹に従う。官渡の戦いの前、曹操打倒の檄文を起草し、敵である曹操からも名文と称された。 のち曹操の捕虜となるが、才を惜しまれ取り立てられた。 |
程遠志(テイエンシ) |
?-184 黄巾賊の将。反乱軍の兵を率い、幽州を襲う。 大興山麓で劉備率いる義勇軍と合戦になり、初陣の関羽にただ一合で斬られた。 |
田豊(デンポウ) |
?-200 字は元皓。 袁紹配下の謀臣。有能ゆえにしばしば直言し、苟彧に「剛直で主君に逆らう」と評された。 曹操との戦いでも進言いるが容れられず、果てに投獄される。案の定、袁紹は敗北し、田豊は逢紀の讒言を受けて自殺した。 |
陶謙(トウケン) |
132?194 字は恭祖。 徐州刺史。反董卓連合に参加。 のちに曹操の父・曹嵩が曹操のもとへ向かう際、護衛につけた配下の張闓が曹嵩を殺して財宝を奪った。 激怒した曹操に猛攻撃を受けたが、劉備らの援軍によって徐州を守りきる。その後、劉備に徐州を委ねて病没した。 |
鄧賢(トウケン) |
?-? 劉璋配下の将。劉璋の側近として劉備に注意するよう諌める。 龐統の命令を受けた魏延が剣舞に見せかて劉璋を斬ろうとすると、張任らと踊り出て防いだ。 |
董承(トウショウ) |
?-200 後漢の車騎将軍。霊帝の母・董太后の甥で国舅(皇帝の舅)。 献帝が長安を脱して洛陽を目指した際、郭汜軍を破って献帝を守り、列侯に封ぜられる。 その後、献帝から曹操打倒の密勅が仕込まれた玉帯を受け、 馬騰、劉備、王子服、呉子蘭らと計画を練るが、下僕に密告され、娘の董貴妃ともども処刑された。 |
董卓(トウタク) |
?-192 字は仲穎。 西涼で太守をしていたが、何進の召集に応じて上洛。混乱に乗じ幼い帝を擁し政権を握った。 猛将・呂布を養子にし、武力を背景に少帝廃立、長安遷都などの横暴を極め、人々を恐怖で支配した。 |
董旻(トウビン) |
?-192 字は叔穎。 董卓の弟。董卓が献帝を擁して権力を握ったのち、左将軍の地位に任ぜられる。 呂布の裏切りで董卓が殺されると、同罪であると処刑され首をさらされた。 |
鄧茂(トウモ) |
?-184 黄巾賊の将。程遠志の副将として、ともに幽州を襲うが、義勇軍に加わっていた張飛に、ただ一合で倒された。 張飛の得物である蛇矛の最初の犠牲者。 |
裴元紹(ハイゲンショウ) |
?-200 黄巾賊の将。黄巾の乱後、山賊の頭をしていた。 関羽の赤兎馬を奪い取ろうとするが、相手が関羽と知って帰順。仲間の周倉を関羽に紹介した。 |
馬元義(バゲンキ) |
?-184 黄巾賊の将。黄巾決起に際し、宦官の封諝や徐奉に賄賂を贈り内応の手筈を整えるが、唐周の密告によって捕らえられ、車裂の刑に処された。 後漢書によると、馬元義は太平道教団の大方で、荊州・揚州の信徒数万人を糾合する大幹部の一人である。 |
波才(ハサイ) |
?-184 黄巾賊の将。張角が挙兵すると南陽の張曼成、博陵の張牛角らと同時に挙兵し、潁川の反乱軍を統率する。 長社で官軍を包囲するが、曹操、孫堅、朱儁軍の奇襲に敗れた。 |
馬日磾(バジツテイ) |
?-194 字は翁叔。 後漢の太傅。学者として著名な馬融の族子。才能を認められて出任し、三公に昇った。董卓の命で袁紹と公孫瓚の争いを調停する。 正史によると、李傕により袁術を左将軍に任ずる使者として遣わされたが、袁術に抑留され憂憤のうちに死んだ。 |
樊稠(ハンチュウ) |
?-195 董卓配下の将。董卓死後、攻めてきた馬騰、韓遂の軍を破って、追撃した。 同郷のよしみで韓遂を見逃したため、謀反の罪で李傕に斬られた。 |
樊能(ハンノウ) |
?-195 揚州刺史・劉繇配下の将。仲間の于糜を捕らえた孫策の後を追う。 後ろから槍で突こうとしたところ、振り向いた孫策の大喝を浴び、落馬して死んだ。 |
費観(ヒカン) |
?-? 字は賓伯。 益州の牧・劉璋の妻の弟。雒城を落とした劉備を綿竹で待ち受ける。 費観は李厳に迎え撃たせるが捕らえられ、逆に李厳の説得で劉備に降った。 のち、成都入りした劉備に用いられる。 |
文醜(ブンシュウ) |
?-200 袁紹配下の猛将。同僚・顔良の仇を討たんとして延津に出陣、曹操軍の襲撃に対し奮戦する。 張遼、徐晃の二将を退ける活躍を見せたが、関羽に倒された。 |
逢紀(ホウキ) |
?-202 字は元図。 袁紹配下の謀臣。曹操配下である苟彧から「勇あれど人の言を用いぬ」と評された。 官渡の敗戦後、讒言により田豊を処刑させる。袁紹の死後、袁尚を擁立して袁譚の陣に赴くが、援軍要請に失敗して袁譚に斬られた。 |
兪渉(ユショウ) |
?-191 袁術配下の将。反董卓連合軍の一員として、董卓軍の華雄が守る汜水関を攻める。 華雄が騎兵を率いて攻め寄せると、反董卓連合の盟主・袁紹に呼びかけに応じて出陣。 しかし、三合もせずに華雄に討ち取られた。 |
楊懐(ヨウカイ) |
?-212 劉璋配下の将。高沛とともに涪水関を守備する。劉備から支援要請の使者が来たとき、劉璋に断るよう進言した。 のち高沛と劉備暗殺を計画するが、軍師の龐統に察知され、取り押さえられて処刑された。 |
楊弘(ヨウコウ) |
?-? 袁術の幕僚。演義では楊大将。袁術が独立を宣言した孫策を討とうとしたとき、先に劉備を討つよう進言。 その際、呂布を味方に引き入れるため、食糧を送ることを献策する。しかし、袁術は呂布を手なずけようとせず、劉備に敗れた。 その後、曹操が領内に侵攻すると、淮水を渡って逃げるよう袁術に勧め、自らも同行した。 |
楊奉(ヨウホウ) |
?-197 もと李傕の配下。反乱するが失敗して逃亡し、献帝の護衛に加わる。曹操と敵対して敗れると袁術を頼った。 その後、呂布に寝返り、袁術軍を破った。略奪を働いたため、劉備の命により関羽・張飛に討ち取られる。 |
雷薄(ライハク) |
?-? 袁術配下の将。劉備討伐のため出陣するが、裏切った呂布と戦うことになり大敗した。 帝位に就いて贅沢を極める袁術を見切り、陳蘭とともに山賊となる。 のち敗走する袁術軍を襲撃して金品を強奪した。 |
李傕(リカク) |
?-198 字は稚然。 董卓配下の将。董卓死後、郭汜らと王允を殺し献帝を擁して政権を握る。 のち郭汜とも争う羽目になり、献帝が曹操のもとへ逃れると自滅の道をたどった。 |
李堪(リカン) |
?-211 韓遂配下の八部将の1人。馬超と連合して長安を落としたが、賈詡の離間の計にかかった馬超が韓遂と対立した隙を曹操軍に突かれて大敗。 逃走中、馬超を狙った于禁の矢が当たり、落馬して死亡した。 |
李儒(リジュ) |
?-? 董卓配下の謀臣。董卓の娘婿。数多くの策を進言し、悪政をもたらした。 貂蝉らの「連環の計」を見抜くが諌めきれず、董卓の暗殺後に同罪として処刑された。 |
李粛(リシュク) |
?-192 董卓配下の臣。赤兎馬を手土産に呂布を説得し、董卓に寝返らせて義父・丁原を殺させた。 のち王允の董卓暗殺計画に参加し董卓を宮中に誘い出す。 その後、呂布の配下として戦うが、敵の夜襲に敗走し、呂布の怒りに触れて殺された。 |
李豊(リホウ) |
?-197 袁術配下の将。呂布討伐に参戦し呂布と一騎打ちするが、利き腕を突かれて敗走する。 袁術が曹操に敗れたのち寿春を守るが曹操軍に捕らわれ処刑された。 |
李蒙(リモウ) |
?-192 董卓配下の将。董卓死後、王方とともに長安の城門を開き、賊の入城を助けた。 のち、賊を討つべく攻め上がってきた馬超に捕らえられ殺された。 |
劉璝(リュウカイ) |
?-214 劉璋配下の将。成都に侵攻しようとする劉備軍に立ち向かうが、攻め込まれる。 城を固め抵抗しようとするも、味方の張翼に斬られ、開城されてしまった。 |
劉琦(リュウキ) |
?-209 劉表の長男。弟・劉琮を後継者にしようとする義母・蔡夫人に命を狙われるが、諸葛亮の助言に従って江夏の守備に就き、難を逃れた。 赤壁の戦い後、荊州の刺史となる。 |
劉勲(リュウクン) |
?-? 字は子台。 盧江の太守。劉繇を破って呉郡を切り従えた孫策は、盧江に矛先を向けた。 孫策に勧められて出陣した劉勲は、その隙に盧江郡を奪われてしまい、やむなく北へと逃れる。 のち江東は孫策によって平定された。 |
劉循(リュウジュン) |
?-? 劉璋の長男。劉備軍が成都に攻め寄せたとき父・劉璋に願い出て迎撃に向かい、敗れた。 正史では、一年にわたり劉備軍本隊の攻撃を防いだという。 |
劉璋(リュウショウ) |
?-219 字は季王。 後漢の益州牧。劉焉の子。張魯の侵攻に備えるべく、荊州の劉備を迎え入れる。 しかし有能な君主を求める家臣の手引きにより劉備軍の成都侵攻を許し、戦力を残しながらも降伏した。 |
劉表(リュウヒョウ) |
142?208 字は景升。 荊州の刺史。名士の代名詞「江夏の八俊」の1人。中原の混乱をよそに、荊州を安定に導いた。 優柔不断な性格から大陸統一の好機をたびたび見過ごす。 |
劉豹(リュウヒョウ) |
?-? 匈奴の単于・於夫羅の子。西晋を滅ぼした劉淵の父。演義では匈奴の「左賢王」として登場する。 これは単于に次ぐ地位で、於夫羅の弟・呼廚泉単于を補佐した。袁紹の甥・高幹が頼って来た際、曹操を恐れて追い返した。 李傕の乱時にさらってきた蔡文姫を側室とし、2子をもうけたが、曹操から身柄返還を要求されると素直に従った。 |
劉繇(リュウヨウ) |
154?195 字は正礼。 揚州の刺史。同郷の勇将・太史慈を配下にするものの使いこなせなかった。 孫策に攻められて敗北し、豫章へと落ち延びた。 |
呂威曠(リョイコウ) |
?-200 袁紹配下の将。官渡の戦いで兵糧基地の烏巣を守備する。しかし、許攸が裏切って曹操に兵糧庫の在処を教え、 守将の淳于瓊も酒に酔って守りを手薄にしていたことから、曹操に兵糧庫を焼き討ちされた。 |
梁剛(リョウコウ) |
?-197 袁術配下の将。袁術が呂布と戦った際、督戦官として連絡役を務めるが敗れた。 さらに袁術は曹操に敗れて逃げ出し、寿春を守備していた梁剛は生け捕りにされ処刑された。 正史では梁網の名で登場する。 |
呂曠(リョコウ) |
?-207 袁尚配下の将。呂翔の兄。曹操に攻められると袁尚の兄・袁譚を通じて曹操に降る。 その後、呂翔とともに新野の劉備を攻撃するが、趙雲に突き殺された。 |
呂翔(リョショウ) |
?-207 袁尚配下の将。呂曠の弟。曹操に攻められたとき、袁尚の兄・袁譚を通じて曹操に降る。 のち兄とともに新野の劉備を攻撃するが、張飛に一合で倒された。 |
呂布(リョフ) |
?-198 字は奉先。 武芸を極め弓馬に優れた猛将。「人中の呂布、馬中の赤兎」と称される。 一日に千里を走るという赤兎馬を駆って、得物の方天画戟を振るった。 義父の丁原を斬って董卓配下となるが、その董卓をも裏切った。 |
冷苞(レイホウ) |
?-213 劉璋配下の将。鄧賢と共同して劉備軍の黄忠、魏延と戦う。 一度は捕らえられるが、投降するふりをして逃げたため、再び捕らえられたときに処刑された。 |
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